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Writer's pictureTomoko Sato

海洋摂理の視点で見た南米摂理

Updated: Jun 26


はじめに


私たちはどのように実体的な人類の父母である真の父母の心情を理解できるでしょうか。通常、私たちは他の人の心情を理解するためにはその人の事情を知らなければいけません。真の父母様が創造理想と言う神の目的と復帰摂理と言う神の計画を教えてくださったがゆえに、私たちは初めて神様の事情を知り、神様の悲しい心情を知ることができました。


では、南米摂理・海洋摂理に関して真の父母の事情はどのように理解できるでしょうか。南米や海に関して真の父母の事情を知るには、「何を目標にされてきたのか」「どのような計画があり、何に投入されたのか」「その計画はどこまで進んでいるのか(現状)」を少なくとも知らなければいけません。この事情を知って初めて父母様の切羽詰まるご心情を垣間見ることができると思います。


2023年12月に南米大陸会長から指示をされて「南米摂理と海洋摂理」という題名の下に選択されて纏められた以下のみ言葉集は、「真の父母の南米での目標・計画・現状を理解し、その背後の心情を理解しよう」という目的のために作成されました。失敗が多い摂理ですが、その理想を共に共有し、父母の心情を感じながら共に歩む食口の皆さんに読んでいただければ幸いです。


編集者:佐藤ジョン




目次


第一章:真の父母の心情

真の父母の人類への心情

真の父母の孤独な心情

諦めない心情

希望と委託の心情


第二章:真の父母の海洋精神

グロスター精神

ハドソン精神

アラスカ精神

パンタナール精神


第三章:真の父母の目標

真の父母様の平和への夢

人類の未来は海にある 

統一のために最も近い道

 

第四章:真の父母の計画 

食糧問題解決のための真の父母の計画 

20年間にわたる計画と準備

海洋訓練の目的

食糧分配の計画

食糧生産の計画          

自立(自給自足)教育の計画

平準化による平和と統一


第五章:未来の指導者の訓練

指導者訓練コース

カープとオーシャンチャーチ 

グローバルリーダー


 

第一章: 真の父母の心情


真の父母として人類へのご心情


(編集者ノート:なぜ、人類の真の御父母様は、ご自身のお子様と過ごす時間を犠牲にしてまでも、貴重な時間を魚釣りに使われたのでしょうか。それは、真の御父母様が、ご自身のお子様たちを愛する前に、世界中の飢えた人々を愛する必要があったからです。)


「先生の心情を考えてみなさい」


「先生は今アベルの位置に立っています。先生は一人で始めたので、個人レベルの基台をまずつくって、それを世界的なレベルヘと広げて行かなければなりません。先生は自分の家族のことを考えることはできませんでした。アベルは自分の家族のことを考えることはできません。彼はカインとカインの家庭、そして全世界のカインの所へ行かなければなりません。そしてその後で、自分の家族の所へ行くことができます。先生は全生涯をそのように過ごしてきました。


先生の心情を考えてみなさい。苦しみで満ちています。最もひどい迫害は、心情に最も近い所からやって来ます。先生の家族は自分のことを気にかけてほしいと思っていますが、先生は彼らのことを最初に考えたことは一度もありませんでした。そのために彼らはものすごく苦しみました。これが先生の路程です。時には子供たちの叫び声を間かなければならないことすらありました。しかし、彼らが必要とする時間を先生は取ることができませんでした。先生の時間は他の人たちのためにあります」(み旨と海 3章 1982年8月28日 プロビンスタウン)


「先生は、先生の目を深い地獄に向けなければなりません」


「世界の問題は皆さんにとってそれほど重要ではありません。今日、世界のある国では何百万の人々が飢えに苦しんでいます。皆さん、それが分かりますか。いいえ、皆さんはそれが分からないでしょう。先生がしなければならないことは、この世界のより良い側面を霊界と連結することなのです。そして先生は、先生の目を深い地獄、最も惨めな状況に向けなければなりません。先生はそういうすべての問題を解決しなければならないのです」 (み旨と海 11章 1985年8月)


「真の父母の血と肉を投入してでも」


「世界で一年に約二千万人が飢えて死ぬのですが、その人々をどのように救うのでしょうか。お父様は、釣りが好きなので釣りをして回っているのではありません。釣り針を眺めながら、大洋を越え、その二千万人のことを考えるのです。 


真の父母の血と肉を投入してでも、助けてあげられる道を開かなければならないというのです。それを誰も考えていません。それを忘れないようにするための作戦です。ですから、たくさんの魚を獲って、海を通して流通させるのです。海でなければ、この人々を生かすことはできません」 (真の父母経第10篇 第2章 278-319 1996年6月23日)





「真の父母として」


「なぜこのようなことをするのでしょうか。飢え死にする世界の人々に、真の父母が責任をもたなければなりません。全世界の人類が兄弟なのに、放棄することはできないというのです」(真の父母経第10篇 第2章第3節 253-109 1994年1月9日)


「一年に二千万の人が飢えて死んでいます。一日で六万名です。このことにアメリカの大統領が責任をもちますか。ソ連のゴルバチョフが責任をもちますか。誰が責任をもちますか。世界の誰が責任をもつのでしょうか。真の父母と、真の父母の兄弟が責任をもたなければなりません。ゆえに、海に関するものは二十年間計画して、すべて準備したのです」(環太平洋摂理 第1章 217-314 1991年6月12日)


「私たちは全人類を救うために地上に来た真の父母です。すべての人は私たちの子供です。どうして私たちは餓死する人々のことを心配せずにいられるでしょうか。私が海洋事業に携わっているのは、海洋事業を通じてその人々を救うことができるからです」(真の父母経第10篇 第2章 218-084 1991年7月2日)


「それが最も尊い仕事」


「数千石の農業に直接従事して、独力で暮らしを立てて家門を起こした曾祖父は、酒もたばこも口にせず、そのお金でよその人にご飯一杯でも多く食べさせようとし、そうすることに生き甲斐を感じる人でした。『八道江山(全国)の人に食事を振る舞えば、八道江山から祝福が集まる』1これが亡くなる際に遺した言葉です」(「平和を愛する世界人として」第1章)


「私が生れて成長する頃には、豊かだった財産はすべてなくなり、ただ幾匙かのわずかなご飯を食べて暮らす程度になりました。それでも、人に食事を振る舞う家風だけは相変わらずで、家族が食べる分がなくても人を先に食べさせました。おかげで、私がよちよち歩きを始めて最初に学んだことが、まさしく人にご飯を食べさせるということでした」(「平和を愛する世界人として」第1章)


「そのような家庭に生まれたせいか、私も生涯ご飯を食べさせる仕事に力を注いできました。私には、おなかを空かした人たちにご飯を食べさせる仕事が他のどんなことよりも貴く重要です。ご飯を食べる時、ご飯を食べられない人がそこにいれば、胸が痛く、喉が詰まって、スプーンを持つ手がそのまま止まってしまいます」(「平和を愛する世界人として」第1章)


「最も差し迫った問題」


「全世界を巡回して感じる最も差し迫った危険は食糧問題です。食糧問題こそ一時も先延ばしにできない問題です。今も私たちが生きている世界では、一日だけで四万人が飢えて死んでいっているのです。自分のことではない、自分の子供のことではないと知らないふりをしていてはいけません」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「大切なことは隣人に対する関心です。自分がお腹いっぱいご飯を食べるとき、誰かお腹を空かせている人がいないか見渡すことのできる心をもつことが肝要です。人類が飢餓問題を解決しなければ、この世界に本当の平和はありません。すぐ横にいる人が空腹で死んでいくのに、それをそのままにして平和を語るのはありえないことです」(「平和を愛する世界人として」第7章)


世界の将来の経済や、世界の食料問題、人類の死活問題は海によって決定することができるのです」 (み旨と海 14章 1983年6月27日)



真の父母様の孤独なご心情


(編集者ノート:真の御父母様は、海洋摂理のために多くの犠牲を払われましたが、殆どのメンバーたちが海洋摂理から去ってしまいました。次のみ言葉には、私たちの多くの失敗に対する真の御父母様の失望のご心情が吐露されています。誰がそれを理解し真の御父母様の孤独なご心情を慰めるのでしょうか。)


「誰もが水と船を嫌いました」


「天勝号は、とても良い船でした。西海(黄海)を素早く縫うように進み、たくさんの魚を捕まえてくれました。しかしそんな時でも、信徒たちの反応はぱっとしませんでした。陸の上でもやることが多いのに、あえて海にまで出て魚を釣る事業をするのはどうしてかというのです。私はすぐに海洋時代がやって来ると直観していました。海に浮かべた『天勝号』は小さな一歩だとしても、海洋時代を開くことになる貴重な一歩でした。私は、その時すでに、もっと広い海や大型で高速の船を思い描いていました」(「平和を愛する世界人として」第4章)


「天勝号を造ったのが一九六三年です。劉孝永氏も船を嫌いました。水を嫌うのです。波を嫌うのです。海で台風が吹けば、家のように大きな波を越えることを楽しいと思わなければなりません。そのために死んだとしてもいいというやり甲斐を、そこに感じることができる男にならなければなりません。それなのに『水が怖い』と言って海を嫌いました。もし、その時からアラスカに出ていったとすれば、世界的にどれほど大きく発展していたことでしょうか」 (環太平洋摂理 第1章 291-276 1998年3月17日)


「一九六三年に韓国で船を造ったのですが、その名が『天勝(チョンスン)号』でした。天が勝利する、神様のみ旨を成就するという意味です。『天勝号』を造り、『世界の海を占領しよう』と語ったのです。


誰もが船に乗るのを嫌いました。『このように波が荒れているときは出られません』と言うのです。漁夫がそのようなことを言っていられますか。命がけで出ていかなければならないのです。私は漁夫になりました。雨が降っても雪が降っても、意に介しませんでした。夕立があっても釣りをしました。雨が降っても、夕方までしたのです」(真の父母経第10篇 第2章 第1節 294-177 1998年6月14日) 




「多くのメンバー達が海から逃げ去った」


「『ニューホープ』という名前の私たちの船は、マグロをたくさん捕ることで有名です。その船に私が直接乗って、マグロを捕りにいきました。人々は船に乗ることを恐れます。若い者たちに船に乗りなさいというと、怖気づいて皆逃げていきました。『先生、私は船酔いが激しいのでだめです。船に乗るだけで吐き気がして死にそうです』と泣き言をいうので、私が先頭に立ちました」(「平和を愛する世界人として」第4章)


「既に多くのメンバー達が海から逃げ去ったのを先生は知っています。今季は我々は週に一匹のマグロしか捕れないし、人々は我々がやってこないだろうと思っていました。とにかくわれわれはやってきたし、人々はそれでびっくりしているのです。彼らは先生がやってこないという確信を持っていたんですが、我々が漁をする理由は単に経済的なものだけではありません。我々は漁をしなければならないし、継続しなければなりません。そして伝統を打ち立てなければなりません」 (み旨と海 3章 1982年8月28日)


「先生は深く失望しました」


「本当はこの目的のために三百隻の船を造るべきでしたが、皆さんはそれを受け入れる準備ができていませんでした。皆さんはそれぞれのセンターで十隻の船も欲しいと思いませんでした。そして先生に対して『お父様、われわれは一隻あれば十分です。これ以上船を送らないでください』と言いました。先生は深く失望しました。


このような幻滅はどこから来たのでしょうか。皆さんはほかのいかなる教会のプロジェクト以上に希望を持つべきでした。ところが、かえって希望を失ってしまいました。それは皆さんが先生の支持に従わなかったからです」 (み旨と海 8章 1984年2月8日)


「将来いつの日か、五十州の各地が、たとえ州議事堂を売ったとしても、ワンホープを買うであろう事を先生は知っています。ところが、統一教会メンバー達の中には、これらの船を見たくもないし、これらの船から逃げ出したいと思っている人達がいます。そういうことを先生は目撃しています。


先生の目標と願いは、この船の中に投入されているのにもかかわらず、他のアメリカのメンバー達はそのことを理解せず、この船から逃げようとしています」 (み旨と海 12章 1986年7月3日 モーニング・ガーデン)



👆完成したONE HOPE 1を聖別されるお父様 150隻のONE HOPE 号が完成

👆左より40ftのSea Hope 1・102ftのOne Ocean 2・次の開発のための指示をされるお父様


「私がなぜそのようにするのか分からないからです」


「お父様は八十の老人ですが、雨が降っても雪が降っても、時間を惜しんで釣りをしようとしているのに、私たちの指導者たちは皆、言い訳を言って逃げ出そうとし、何としてでも私が釣りに行けないようにしようとしています。それは、私がなぜそのようにするのか分からないからです」 (真の父母経 第10篇 第2章 278-319 1996年6月23日)


真の父母様の諦めないご心情


「先生はあきらめることはできません」


「皆さんが、先生がオーシャン・チャーチを始めた時からの御言葉を読めばそのメッセージがいかに重要で、いかに真剣なものであるかが分かるでしょう。しかし先生がそのような説明を与えた後でさえも、多くのメンバーがこのオーシャン・チャーチの活動から離れていきました。それは恥ずかしいことですが、先生はあきらめることはできません」 (み旨と海 12章 1986年7月3日)


「皆さんは本当にここにいたいと思いますか。まだ先生は皆さんを信じられません。皆さんはそれを先生に示さなければなりません。これまで非常に多くのアメリカのメンバー達が、このオーシャン・チャーチの活動から離れ、逃げていくのを見てきました。もちろん、ある者にとってはそうする十分な理由があったかもしれません。先生はただだまって、彼らが来ては去っていくのを見てきました。しかしその間、先生はこのオーシャン・チャーチの努力に対する先生の目標と先生の精神を決して変えませんでした。なぜか、それは先生がその価値を知っているからです」 (み旨と海 12章 1986年7月3日)


「我々がまさに行かなければならないという精神とは『自分の目が最後に閉じるまで、誰にも自分の手を開けさせない。自分はこの道をできるだけ強くつかんで決して離さない』と言うことができるような精神を持たければならないのです」 (み旨と海 12章 1986年7月3日)


「食口達を説得しなければなりませんでした」


「多くのアメリカ人がそのようなシー・フードを好んでいます。先生はそれを知っていましたから、先生が一人であらゆることを開拓し、開発したのです。それから食口達を説得しなければなりませんでした。先生は多くの食口達が過去五年間の内に、オーシャン・チャーチから逃げ出すのを目撃しました。しかし、先生はそれを続けたのです」(み旨と海 11章 1985年8月)


「いかに多くの時間と努力を注いだか」


「先生は将来の食糧問題の鍵は海にあると見て、何もないところから広範な海洋事業を開発するために努力してきました。誰よりも多くの時間を海で過ごし、海で考え、海で祈り、海で苦労しました。いかに多くの時間と努力を注いだか。皆さんには想像できないでしょう」(「統一教会と陸地と海」1991年6月1日)


「これは先生が生きてきた唯一の道であり、先生と共に働きながらいかに多くの人が離れ去ったとしても、先生はこの道を離れることはできません。これは皆さんにとっても唯一の道であり、皆さんが歴史を振り返ってみる時、決して後悔することのない道です。霊界にいる人は誰もが、これが正しい道であり、唯一の道であることを知っています」 (み旨と海 11章 1985年8月)


 「先生は絶対に成功しようと決意している」


「皆さんは海に出て行かなければなりません。それが皆さんの役割であり、使命です。もしアメリカのメンバーが失敗するならば、先生は日本人や韓国人、あるいは祝福の子女たちに対してこの使命を達成するように求めなければならないかもしれません。先生は絶対に成功しようと決意しています」 (み旨と海 8章 1984年2月8日)




真の父母様の希望と委託のご心情


「続ける人がどこにいるでしょうか」


「そのような生活を続けたので、私が海に出ていくことに対して、『海が好きだから出かけるのだ』と思うかもしれませんが、海のどこが良いというのですか。誰もが、そのようにならなければならないのです。もう私は、これから船に乗らないつもりですが、死ぬ前に、誰かにこれを伝授してあげなければなりません。私が伝授できずに死ねば、すべてストップします。誰かにこれを伝授したからといって、続ける人がどこにいるでしょうか」 (真の父母経 第10篇 第2章 294-177 1998年6月14日)


「先生は苦労の中から出発した自分の路程を、必ず成功させようと決意しています。その同じ状況が皆さんにも当てはまらなければなりません。もし先生がこのように決めたとすれば、皆さんは違った道を行くことができますか。それは真の父母の伝統であり、それを皆さんに残して行きます。だから皆さんは、この世界の最後の人が救われるまで、ずっとこの道をたどっていくべきです。これは達成するまで、これ以外の道を行くことはできません」 (み旨と海 11章 1985年8月)


「将来、統一教会の唯一の希望」


「先生の考えを実践しなければなりません。そうすれば、先生が話しているような成功を皆さんも見いだすとことになります。将来、統一教会の唯一の希望となるのがオーシャン・チャーチです。皆さんの立場がどれほど重大なものかが分かるでしょう。将来、何が海へ行く人の限界となるでしょうか。『限界はない』と、先生は絶対的確信を持って言うことができます」(み旨と海 6章 1983年7月3日)


「我々は彼らを助けなければなりません!」


「それでは全ての統一教会のメンバーの皆さん、家族のためにボートを買いますか?お金がなかったらどうしますか?これから毎日一食抜いて、ボートを一隻買うためにお金を貯めてください。わたしはこうなることを知っていたので、準備しておいたのです。私は若い時は毎日昼食を抜いていましたが、いつも一番エネルギーに満ちていました。私はそれを7年間続けました。


私が基台をつくったので皆さんはただ後をついて来れば良いだけです。いやとは言えません。その理由がありません。誰のためにこれをするのでしょうか?自分のためですか?それともお父様を喜ばせるためですか?それよりも、世界中で飢えて死んでいく人類のためなのです。我々は彼らを助けなければなりません!それが我々の使命なのです」(「万物の日と愛の結実」1991年6月12日 ベルべディア NY)


「最後に残ったのは先生一人です」


「二十年前に始めたオーシャンチャーチ摂理ですが、最後に残ったのは先生一人です。みんな途中で投げ出して、どこかに消えてしまいました。


これから二十年間は皆さんの時代です。皆さん、この道を行く覚悟ができていますか?さあ、やりますという人は両手を挙げて神様の前に誓って下さい。神様の祝福がありますように」(「海洋圏の開発」1994年8月1日 ベルベディア修練所 NY)



「たとえ私が死んだとしても」


「私は、そのように熱心に海に出掛けていくのですが、その心を忘れてしまったら問題が生じます。その心が続かなければなりません。精誠というものは、千年万年続かなければなりません。海に出ていって精誠を尽くすのを楽に座ってするならば、蕩減できる条件が立ちません。


昨日よりも今日が良く、今日よりも明日が良くなければなりません。すべての川の水は大西洋に集まり、大西洋の水は太平洋へ行くのです。今後私が、飢え死にする人々を救ってあげる時までその精誠を込めるならば、たとえ私が死んだとしても、そのみ旨はこの地上に成し遂げられるだろうと思っています」 (環太平洋摂理 第1章 279-308 1996年9月22日)


「皆さんは先生の希望なのです」


「これを成就させなければなりません。将来のために、誰かがそれを行わなければなりません。皆さんは先生の希望なのです。それが分からなければ、皆さんは自分が一体何者かということさえ分からないことになります。先生に近い者とは、海で成功しようと決意する者のことです」(み旨と海 6章 1983年7月3日)


👆モーニングガーデン(グロスター)👇ナビレケ聖地で


(考察ポイント:(1)なぜ、真の御父母様はご家族との時間まで犠牲にしてまでも、釣りをつづけられたのか?(2)なぜ、真の御父母様はあきらめなかったのか、考えてみましょう)。


 

第二章:真の父母様の海洋精神の相続


(編集者ノート:真の御父母様は食口たちに4つの海洋精神(1)グロスター精神・(2)ハドソン精神・(3)アラスカ精神・(4)パンタナール精神を教えられました)。


「今晩皆さんに対する先生の希望は、皆さんが先生の精神を相続し、これまで先生がなしたような目標や目的を受け継いでくれることです。 それから皆さんは、それを日常の生活に適用しなければなりません。十年、二十年たった後には、皆さんは成功するに違いありません。 そうすれば、今から三十年、四十年たって先生が霊界に行ってしまった後に、皆さんは『私は四十年前にモーニング・ガーデンでお父様が私に話してくださったことを覚えている。それゆえに自分は今日このように成功したのだ』と言うことができるでしょう。先生は皆さんの多くの者が、これまで述べたような人間になってくれることを希望し、祈っています」(み旨と海 12章 1986年7月3日)


「人生最大の道」


「我々は、今日のために生きているのではありません。未来のために生きているのです。先生は苦労の中から出発した自分の路程を、必ず成功させようと決意しています。その同じ状況が皆さんにも当てはまらなければなりません。もし先生がこのように決めたとすれば、皆さんは違った道を行くことができますか。それは真の父母の伝統であり、それを皆さんに残して行きます。だから皆さんは、この世界の最後の人が救われるまで、ずっとこの道をたどっていくべきです。これは達成するまで、これ以外の道を行くことはできません。我々はこれを人生最大の道だと言っています。そして実際、これは人生最大の道なのです」(み旨と海 11章 1985年8月)


グロスター精神:感謝ですべてを投入


「先生は、グロースターで一つの伝説となりました。ここの新聞は、我々の魚釣りについて数回記事を載せ、この町中の話題となっています。ここには毎年各地から何百隻もの船が魚釣りにやって来ます。ニュー・ホープ号が海に出てアンカーを降ろす時、他の多くの船が後を追って来て、近くにアンカーを降ろします。先生の船にマグロが引っ掛かると、他の漁師達は双眼鏡を取り出して、先生がどうしているかを見つめたものです。最初の頃、否定的な人達は、マグロがラインを切って逃げてしまうことを願っていました。しかし、二、三日して、先生がマグロを釣ることに成功した後には、彼らは考え方を変えました。そして先生が何か先生のためになる何か良いものを持っているだろうという噂が広がり始めました。



先生はいつも一番最初に海に出かけました。プロの漁師達の中には、先生よりも早く行こうとした人達もいます。しかし彼らがどんなに朝早く起きて出てみても、ニュー・ホープ号は既に海に出ていました。漁師達はこのことでは復活しませんがでしたが、彼らが先生と競争しようとした時、彼らは非常に一生懸命働かなければなりませんでしたので、いつもの自分達のように酒を飲んだり怠けたりする時間がありませんでした。夏の終わりまでには、このグロースターという衰退しつつある町中で、この町を救うことができる唯一の人間は、先生であるという噂が広まっていました。


先生は毎日、例外なく午前三時に起きました。ニュー・ホープ号は月灯りの中を出て行って、多くの場合、夜、星が輝き、月が出ている中を帰って来ました。皆さんは朝早く起きるのが好きですか。先生の船で働くスタッフ達は、何時に起きるべきかということは決して言われませんでしたが、先生が毎朝三時に起きるので、どんなに眠くとも先生に従いました。

これが、アメリカにおける過去四年間の先生の伝統でした。先生に従うのは、容易なことではありません。なぜなら、先生ほど一生懸命働ける者はいないからです。先生の船のクルー達は、先生が何をするかということを知っており、午前一時半までに大西洋に出ようと言えば、彼らは不平を言うことなく、その時間までに起きて出かけたものでした。先生はまた一晩中海に出て、そこで働くという伝統さえも打ち立てました」(み旨と海 14章 1977年9月11日)


「親というものは、常により遅くまで、より一生懸命働き、そしてより朝早くから仕事を始めるものです。親の心というものは、親がもっともっと一生懸命に働いて、そして翌日の準備をしている間に子供達には休んでいてほしいと願うものです。親の心というものは、最後の最後まであらゆることに気を配り、あらゆることを見守りたいと願うものなのです。皆さんは朝早く起きていると思ったかもしれませんが、しかし皆さんが起きる前に神様は既に起きておられ、皆さんの前におられたのです。神様がこのように常に一歩先へ行っておられるということを皆さんが悟る時、皆さんは決して疲れることはできないでしょう。諦めることはできません。皆さんは常に『私は神様を慰めてあげたい』という気持ちを持つでしょう。しかし神様は常にそこにいて、皆さんに慰めを与えておられるのです。このようなことを理解すれば、皆さんは神様の心の重荷を軽くするために、あらゆる努力をしたいと思うでしょう。そのような心と気持ちを持って皆さんが前進するならば、皆さんは決して失敗することはないでしょう」(み旨と海 13章 1986年8月28日)


「皆さんは、サタンが行くことのできない道を選ばなければなりません。そのような道とは最も厳しい道なので、サタンは『ああ、駄目だ。自分はそのような道を行くことができない。お前は私なしに行きなさい』というようなものでなければなりません。皆さんはそのような路程を選ばなければなりません。そこには神様だけが待っておられます。そして、皆さんだけが神様に出会う機会を持つことになるのです」 (み旨と海 13章 1986年8月28日)



「今は新しい時代、新しい歴史の一㌻です。皆さんがこの新しい歴史の主人公です。そうなるためには、皆さんは決意しなければなりません。そのような決意なくして、皆さんはその目的に近づくことすらできないでしょう。命を賭けるという決意があればサタンを分別することができます。サタンはもはや皆さんと何の関係も持てなくなるでしょう。自分が生き残ろうとしてはいけません。死の境地へ行きなさいそうすれば神様が皆さんの犠牲を受け取って、それがまさに先生の人生です。先生はこれまで、常に死の覚悟をして来ました。このような伝統は、先生から皆さんへ、皆さんから他の人達へ受け継がれて行くのです。皆さんが生きている限り、息をしている限り、不平を言うことはできません。なぜならば、既にそのような決意をしたからです。皆さんは死の覚悟があります。しかし、まだ死んではいません。『自分はまだ生きています、自分はもっともっと行かなければなりません。もし死んでいないのであれば、自分はもっと行くことができます。神様、ありがとう』と言うことができます。


先生の足は筋肉によってではなく、いつも何らかの理由で腫れ上がっています。船のデッキに長く立っていることから足を使い過ぎたとしても、先生は『神様、ありがとうございます。まだ自分は死んでいません。まだ自分は息をしています。神様、私はもっと行くことができます』と言うのです。ある晩ちょっとした事故があって、バスルームで転びました。お母様は知りませんが、その時先生は気を失ってしまいました。自分が立ち上がって最初に口から出た言葉は『神様、ありがとうございます』でした。そういう伝統を先生は統一教会の中で築いてきました。どうして我々が不平を言うことができるでしょうか。もし我々がこういう伝統を無視するならば、アメリカは陰気で悲惨な国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐときに、アメリカは栄光と繁栄の国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐならば、祝福が永遠に訪れるでしょう」(み旨と海 14章 1983年6月27日)


ハドソン精神:困難な状況下であっても継続


「昨晩の神学校の卒業式の後で、指導者達を全員魚釣りに連れて行きました。嵐の最中でした。そして我々は皆小さな船に閉じ込められていました。彼らは口では言いませんでしが、心の中では恐らく『先生、あなたはどういう人ですか。一日足りとも休むことはできないのですか』と思っていたことでしょう」(み旨と海 14章 1979年7月1日)



「我々には決意が必要です。我々は高く立って『いかに風が強く吹こうとも、いかに多くの嵐がこようとも、自分はここに立って決して止まらない』と言わなければなりません。数年前、グロースターで嵐がくると警告がありました。そしてラジオのアナウンサーは、家にとどまるように言いました。ところが、先生は午前一時に『出かけよう』と言ったのです。風が非常に強く吹いていたので、誰もが危険があることを知っていました。それにもかかわらず『前進』と言ったのです。そして我々は嵐の中へ出かけていきました。


先生はそのような男が好きです。いかなる女性もそのような男性を好みます。皆さんはどうですか。皆さんはそのような男性を好きですか。あるいはただディスコで踊るような人間を好みますか。皆さんはどんな種類の人間ですか。皆さんはレバレンド・ムーン流の人間ですか。先生は非常にタフな人間です。それと同時に、先生は霊的な方向にも従わなければなりません。それがどういうことか分かりますか。我々がまさに行かなければならないという精神とは『自分の目が最後に閉じるまで、誰にも自分の手を開けさせない。自分はこの道をできるだけ強くつかんで決して離さない』と言うことができるような精神を持たければならないのです」(み旨と海 12章 1986年7月3日)


「私たちの責任者に、その日の天気を調べてくるように言うと、風が吹くことはチェックしても、雨が降ることはチェックすらしないのです。それで、『なぜ雨が降ることはチェックしないのか』と尋ねると、『いくら雨が降ることをチェックしても、もう何年も、それによって船を出すかどうかが左右されることはなかったので、チェックしてもしなくても関係ありません』というのです。


そのような伝統を立てました。『雨が降るなら降り、やむならやみなさい』というのです。風速の強弱は、船に乗るに当たって問題になりますが、降雨量は問題になりません。台風が吹くと大きな船は出られませんが、私たちの小さな船は出ていくのです。『私たちは出かけよう!』というのです。そこで約一週間だけ過ぎれば、魚を釣ることに味を占めます。一度その味を覚えれば、再びやってみなければ気が済みません。それが魅力的なことなのです」(真の父母経第10篇 第2章 236-030 1992年11月2日) 


「人々は、船に乗って海に出て、釣りをするなら、天気が良く、気分の良いときに出掛けようとします。それは普通の人が考えることです。特別な人になるためには、にわか雨が降り、雷が鳴る環境でも釣りをしてみなければなりません。雨が降るとき、周辺の水がどのように変わり、その水が動くことによって、魚にどのような影響を与えるかは、豪雨が降り注ぐ場で釣りをしてみなければ分からないのです」(真の父母経第 10篇 第1章 276-071 1996年2月4日)



アラスカ精神:絶対に責任を成就


「釣りをしようと海に行くのではありません。アラスカ精神とは何かというと、鮭の精神です。鮭は子を産むために四千マイル、五千マイルの大海を渡って、離れた自分の故郷を訪ねてきます。人間の復帰路程を見ても同じです。何億千万里離れたとしても、再び訪ねていくことができなければなりません。釣りをするにおいても、それ以上興奮する釣りはありません。それがどれほど強いか分かりません。他の魚が食いついたときは、何度か巻けば出てくるのですが、これは数十回巻かなければなりません。私たちが天の伝統をもった人を捕まえるのが難しいことと同じです。それは死ぬまで、終わりまでジャンピングします。このようにジャンピングを三度すれば釣り針が外れます。それがアラスカの伝統です。海は死亡の世界、サタン世界を象徴し、魚は人を象徴するのです。魚の中で最も勇猛な魚は、サーモンです」(環太平洋摂理 第2章 236-124 1992年11月4日)



「アラスカ精神という言葉を聞きましたか。アラスカ精神とは何でしょうか。朝五時に起きて御飯を食べて海に出ていけば、夜の十二時にならなければ帰らず、一時や二時に帰ってくるときもあるのです。責任量を果たすことができなければ帰ってくることはできません。事情をくんであげるのではありません。修練過程では、責任を果たすことができなければならないのです。ですから、魚を釣るのを見物するのではありません。魚釣りの訓練をするのは、今後世界中どこへでも行ける指導者を育て上げるためです。誰もが魚を釣ることができるのではありません。専門的にならなければなりません。多くの経験を通して学んでこそ魚を釣ることができるのです」(環太平洋摂理 第1章 263-10 1994年8月16日)





パンタナール精神:赦しと協力(共生共栄)


「丸ごとのみ込む関係世界がパンタナールです。『パンタナール』とは何かというと「ナルゥル、パンタ(私を売る)』、すなわち『売ってしまう』ということです。目的のためには関係ないということです。ゆえに、パンタナール精神とは、良いものも悪いものもそのままのみ込んで消化し、自分が生きることができるように影響を及ぼしながら、互いに大きくなっていくことです。神様のみ旨とは、サタン世界も善の世界もそのままのみ込んでしまうことではありませんか」(環太平洋摂理 第1章 296-305 1998年11月18日)

「パンタナールに行って『丸ごとのみ込もう。丸ごとのみ込もう!』。魚の世界に行って丸ごとのみ込もうというのです。それで、この地において、丸ごとのみ込むことができる教育をしているのです。自分の一族、家庭、先祖、親族を丸ごとのみ込むことができない弱者になってはいけません。強者にならなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 295-237 1998年8月28日)


「パンタナールに生息している魚は三千六百種です。三千六百種の魚がいます。それらが食べる餌はすべて異なります。そのようなものが混ざり合って、休むことなく海の清掃作業をしているのです。食べるという行為自体が清掃作業だということを知らなければなりません。彼らは自分の目的のために生きているのではなく、環境を整理しながら、周辺をきれいにしながら、互いに助け合いながら生きているのです。それが自然協助体制です。彼らは海の水をきれいにする運動をしているのです。海は塩辛いだけでもいけません。魚がいて、汚いものも食べたりしなければなりません。魚の糞はどのようにするのですか。それをまた食べる魚がいるのです」(環太平洋摂理 第1章 293-283 1998年6月7日)


「サロブラとパンタナール、その次にジャルジンは、これから世界的な観光の名勝地になるでしょう。霊界と肉界が連合できる内容を、ここで宣布しました。水陸、水と地が連結される所です。水陸が連結され得るすべてのものを決定していくのです」(真の父母経第10篇第3章 293-272 1998年6月2日) 


「主流から流れるきれいな水が公害で汚れた水を見て、『私はお前と混ざり合うのは嫌だ!』と言って避けることはできません。自然の場合はそのようになっています。自然の調和と総合関係というものは不思議です。水の性質は、汚いものがあって自らの本質がそれによって汚れたとしても、それを包容し、自らの周辺のものまで吸収してこれを同一化させるのです。そのようにして、流れ流れていく間に、汚いものは沈んで、きれいなものは浮かんでくるのです。そのようにしながら流れていく中で、きれいな水になって海に流れ込んでいくのです。歴史の流れもそのようになっています」(環太平洋摂理 第1章 218-292 1991年8月22日)


「先生は水を愛しています。水はすべての生命の根源です。水はすべてのものを抱いて消化します。ジャルジンにはミランダ川とラプラタ川がありますが、その二つは陰陽です。ラプラタ川は澄んだ水ですが、ミランダ川は泥水です。きのうも見ると、泥水があれば、人の世であれば逃げていってしまうところですが、その泥水の渦の中に澄んだ水がためらうこともなく巻かれていくのです。自らの姿勢を備え、泥水と和合してその色も変わっていくのですが、流れ流れて日がたてばたつほど、再び自らの光りを取り戻して、澄んでいくことができる力をもっているのです」 (環太平洋摂理 第1章 276-140 1996年2月18日)



(考察ポイント:真のお父様は常に食口たちに世界各地で釣りを教えて来られました。例えば麗水では68回の「海洋指導者修練会」で7300名の日本人女性を訓練されました。米国や南米でも何千もの食口たちを釣りに連れていかれました。その中で食口たちに相続してほしかった「精神」とは何だったのでしょうか?)


 

第三章:真の父母の目標とは何だったのか


真の父母の平和への夢


(編集者ノート:真の御父母様は、地上と天上に実質的な平和をもたらすため、ご自身の生命とご家族を犠牲にされました。次のみ言葉は、世界平和実現の目標と人類の食糧問題に関する真の御父母様のみ言葉を集めたものです)。


「たった一つの思い」


私は生涯たった一つのことだけを考えて生きてきました。戦争と争いがなく世界中の人たちが愛を分かち合う世界、一言でいえば、平和な世界をつくることが私の幼い頃からの夢でした」(「平和を愛する世界人として」第1章)


「今のように民族どうし、宗教どうしが相互に罵り合って、争うことが続くとすれば、人類に未来はありません。絶え間のないテロと戦争によって、ある日、吹けば飛ぶ埃のように消滅してしまうでしょう。しかし希望が全くないのではありません。もちろん希望はあるのです。私はその希望の紐をつかんで放さず、生涯、平和を夢見て生きてきました」(「平和を愛する世界人として」第1章)


「私の願いは、世の中を幾重にも囲んできた塀と垣根をきれいさっぱり壊して、一つになる世の中をつくることです。宗教の塀を壊し、人種の垣根を取っ払い、富む者と貧しい者の格差を埋めた後、太古に神様がつくられた平和な世の中を復元するのです。飢えた人もなく涙を流す人もない世の中ということです」(「平和を愛する世界人として」第1章)


「食糧問題を解決しなければ…」


「食糧問題は、今後人類に非常に深刻な危機をもたらすでしょう。なぜならば、限りある陸地で生産されるものだけでは地球上の人類をすべて食べさせることはできないからです。ですから海にその解決策を見いださなければなりません。海は未来の食糧問題を解決できる鍵です。私が数十年前から絶えず海を開拓してきた理由もここにあります。食糧問題を解決しなければ、理想的な平和世界を建設することはできません」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「安い費用で食べ物を十分に供給するためには、人類の最後の宝庫である海と、いまだに原始林のまま放置されている大森林を開発しなければなりません。ところが、それが言うほど簡単ではありません。体を動かすのが難しいほど蒸し暑く、じめじめした所に直接入っていき、身を投じて献身する苦労があって、初めて可能なのです。熱帯地方の大森林を開発するのは、人類を愛する情熱と献身なくしてはやり遂げることができません。ブラジルのジャルジンは、まさにそんな場所です」(「平和を愛する世界人として」第7章)


人類の未来は海にある


「海を中心として生きる道」


「今後、私たちは世界的な基盤を築いていかなければなりません。私は、地球の七三パーセントが海だということについて考えています。三分の二は海です。将来、地上から食べ物がすべてなくなってしまえばどうしますか。海から何かを獲って食べなければなりません。海を中心として生きる道を模索しなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 88-179 1976年8月10日)


未来の資源は、すべて海底に埋まっています。地上の資源は、既にほとんど掘り尽くされていて長くはもちません。何年ももちません。ですから、海底に埋もれている資源を発掘することが重要です。今後はツンドラ平原に関心をもって、それを研究していかなければなりません。今私が関心をもっているのは、そのような未来の世界です。今後五十年ももちません。何十年後には、そのような現実が目の前に迫ってきます。ゆえに、それに対して準備しなければなりません。ですから、アラスカを重要視しているのです」(環太平洋摂理 第1章 236-22 1992年11月2日)


「私はアメリカで世界的な水産事業をしていますが、漁船を造る工場としては、私たちの工場がアメリカで最も有名です。今後、陸地の資源が必要な時代は過ぎ去っていきます。今からは、水中資源を誰が世界的に管理するか、そのような技術を誰がもつか、この海洋世界を主管する者が世界を主管していく新しい時代が来ます。海は無限の原料の根源地です。今後、海の魚を獲って食べる時代は過ぎ去ります。海の農業、海の牧場、海の養殖をしなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 126-201 1983年4月19日)


「先生は海への関心を生涯もち続けてきました。大洋的運勢が来るからです。ですから、皆さんも海に関心をもたなければなりません。その次に大陸に関心をもたなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 12-117 1962年)


「海洋事業は有望性があります。私には明確な概念が定立しています。ゆえに、私は『人類のために海へ行きなさい』と宣言するのです」(環太平洋摂理 第1章 128-211 1983年6月26日)


「真っ黒な顔をしたハドソン川の漁夫のような男、千年を待てば何もかも消えてなくなってしまうような男ですが、まさかそのような方がこのようなことをするとは思いもしないでしょう? なぜそのようなことをするのでしょうか。二千万の飢え死にする人類を解放するためです。汗を流したハドソン川を忘れてはならないということです。五大洋六大州を通して息をし、考えるその見えない波紋、電波のようなものが、そこで生きている魚世界を通じて未来の人類解放の道に連結するのです。地と海があれば飢え死にすることはありません。先生が教えてあげれば、飢え死にする人々を救うことができるのです」 (環太平洋摂理 第1章 247-21 1993年4月21日)




統一教会の未来の活動基地は都心地ではなくて...


「これからの世界を指導することができる人は、海を守ることができる人です。人類が海底の宝物に対して、自分たちのあらゆる権力と文化的背景、そして伝統と国力を投入して開発をしていく時代が来ます。


それを開発するためには、誰が先に海洋地域を占領するのかという問題が鍵となります。このような問題に直面する中で、統一教会の教主として、あるいは真の父母の名をもった歴史的な責任者として、今後統一教会がとどまることができる基地として、どのような場所を残してあげるのでしょうか。それは都心地ではなくて海岸です。海岸において、あえて誰も考えもしないようなことをするのです」(環太平洋摂理第 1章 220-11 1991年10月13日)


「今後は海、水を主管しなければなりません。そのような思想をもてば世界を主管するようになるのです。水が一番重要です。ですから、私が霊界に行く前に、大きな地域を中心として水を主管する事業に着手しておかなければなりません。それで、せっせと多くのみ言も語っているのです。私が話しておけば、後孫たちが成し遂げるだろうと思っているのです」(環太平洋摂理 第1章 276-296 1996年3月10日)



人類の統一のために最も早い方法


「これが最も早い方法」


「我々はこの基盤を、全世界のために築かなければなりません。これが人々と国家を一つにする、最も早い方法です。先生はこれをいかになすことができるかといつも考えていました。だから先生は海に基盤を造っているのです。我々がこの基盤を造れば、将来に対する我々の方向性は真直ぐなものとなるでしょう」 (み旨と海 11章 1985年8月)


「それに対する世界的な組織をつくって主導権を握ることが、世界の金融界をはじめ、すべての分野を平和世界に導いていく、一つの近道だと思うのです。それで、海に対して数十年間計画し、今まで海洋産業のすべてのことを開拓してきたのです」(真の父母経第10篇 第2章 252-210 1993年12月30日)


「海は世界を結束させる求心点となるでしょう」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「先生は未来の世界を準備しています。私は海が好きでそのようにするのではありません。海にいるのは大変です。最初は一週間も行ってくれば、ひざの後ろがいつもずきずき痛んで大変でした。それでも、胸の内では『すべきことがたくさんあるので、年のことを嘆かずに行かなければならない。ヒマラヤを越えていく子馬のようにならなければならない』と思いました。そうであるのに、どうして休むことができますか。


私がなぜ海に関心をもっているのかが分かりますか。将来、私たち人類が行くべき平和の道を開くための鍵がそこにあるのです」(環太平洋摂理 第1章 189-295 1989年6月17日)


「世界の人々が賛美するようになる」


「もし世界の難民たちに、私たちが魚粉を供給して、食糧問題を解決できるようになったとすれば、多くの人々が統一教会員になります。

 

そのようなことをしておけば、真の父母の偉大さは、地が消え去り、天が崩れ去っても永遠に残るというのです。それにより、統一教会の子孫たちが、どれほど堂々と神様のみ前に賛美をお返しできるだろうかと考えています。そして、世界の人々がジャルジンを訪れ、魚を養殖し、人類を生かすために苦労したその功績を基盤を中心として、賛美するようになるでしょう」(真の父母経第10篇 第2章 277-143 1996年年4月7日)


「南極海に行ってオキアミを獲り、食糧問題の解決において、人類に影響を与えることができる時代に入ったので、今後、世界の三分の二の人々は、統一教会を注視するのです。 


統一教会のみ言と海洋摂理を中心として、食糧問題解決のための全般的な準備をしてきているので、全世界が希望をもっているというのです。今や黎明(れいめい)を過ぎて、希望の太陽が昇ってくる時になったので、誰も遮ることはできません」(真の父母経 第10篇 第2章339-110 2000年12月7日)




「皆さんは復帰摂理を短縮、それとも延長したいですか?」


「皆さんは復帰摂理を短縮したいと思いますか、延長したいと思いますか?何百年、何千年と時間をかけたいですか?何十年かで成就したいですか?『短縮したいです』。本当にそう思いますか?それなら、先生がどうやってやるのか、教えてもらわなければなりませんね。


早くしなければなりません。ではどうやってやるのですか?キリスト教が二千年間、熱心に伝道してクリスチャン人口が十億人になりました。現在ではキリスト教で世界を救うのは不可能だと、誰もが認めています。


世界九十億人口の中で、15パーセントだけが楽な生活をしていますが、残りは生きていくのが精一杯という状態です。十億人がクリスチャンであれ、残りの四十億人はキリスト教に関心を持っていません。十億人伝道するのに二千年かかるなら、五十億人伝道するのに何年かかるのでしょうか?


生きることに精一杯の四十億人が、『レバレンド・ムーンは自分たちの為に二十年間も苦労しながら準備をして、食糧を持ってきてくれた』と聞いたなら、みんなどういう気持ちがするでしょうか?彼らが皆さんとレバレンド・ムーンのおかげで飢えから救われたと知った時には、皆さんを歓迎するでしょうか。 


…はっきりしていますね?統一教会にずーっと入っていたいと願うでしょう。短期間であれよあれよという間に、何十億人が統一教会に入教するのです」(海洋圏の開発」1994年8月1日) 



「統一教会は黒潮にならなければならない」


「いくら川が大きくてもそれは海に入っていき、海がいくら広く流れているといってもそれは黒潮に従っていくのです。黒潮というものを知っていますか。黒潮というのは、太平洋地域を中心として四千マイルの円を描きながら回っている海流のことです。力強く回る水の流れによって、五大洋のすべての水の流れが生きて作動するのです。それに乗って回ることができてこそ海水の資格をもつのです。人間が生きていくのも同じです」(環太平洋摂理 第1章 220-201 1991年10月19日)


「太平洋を中心として、『黒潮』は四千マイルを回っています。一年に四千マイル回ります。その回る力によって五大洋が回るのです。もし黒潮がなければ海は回りません。この黒潮によって大西洋と太平洋は五大洋と通じているのです」(環太平洋摂理 第1章 227-129 1992年2月11日)


「統一教会は世界の主流の海流となり、太平洋の黒潮のようにならなければなりません。太平洋で四千五百マイルの黒潮が回り、五大洋の水が回るようになっているのです。世界の生命力をすべて宇宙で勃発させるためには、深い所を回っていって動かすことができる源泉をつくらなければなりません。そして、汚い世の中をきれいにしなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 275-32 1995年10月30日)


考察ポイント:(1)何が、真の御父母様の最終目標だったのか?(2)どのように、海洋摂理は真の御父母様の最終的な目標に関係しているのか?


 

第四章:真の父母の計画とは何だったのか


食糧問題解決のための真の御父母様のご計画


(編集者ノート:このみ言葉は、真の父母様が人類の食糧問題をどのように解決しようとされたのかを記した御言葉を集めたものです。まず、真のお父様は長年にわたって海でご自身を訓練され、それから、すべての食口を釣りを通して訓練されました。最後に、真のお父様は食糧生産、食糧流通、そして教育の世界的なネットワークを構築するために、無数の事業に投資されました)。



「一歩一歩何をなすべきかについて計画しました」


「先生は船に乗ってマグロが来るのを待っている間、アメリカにおける神の摂理についていろいろなことを考え、何をなすべきか計画しました。先生は世界の飢餓の問題について考え、一歩一歩何をなすべきかについて計画しました 


先生はたった一年や二年先のことを考えたのではなく、何百年先のことを考え、それを準備するにはどうしたら良いかを考えたのです。またマグロの養殖方法とか、どのように餌付けをするか、将来何百万ポンドもの栄養価の高い食糧としてマグロをいかに用いるかを考えました。そのようなことをいつも考えていたのです。先生はマグロがやって来るのを待っている間、何時間も何も考えないでいることはないのです」(み旨と海10章1984年7月5日)


「この外的世界の将来の問題、解決の基礎も築いています」


「先生はこの巨大な霊的運動の創始者ですが、さらにこの外的世界の将来の問題、解決の基礎も築いています。これは将来の食糧生産と世界の飢餓問題解決の基礎であることを先生は知っています」(み旨と海 1章 1980年7月13日)


「先生が海について大変熱狂的だし、数多くの計画を立てているので、統一教会へ来る人は誰しも海へ注意を払わざるを得ません」(み旨と海 1章 1980年7月13日)


「海には原資材が無限にあります。魚一匹が何百万個の卵を産むのです。これらの魚を世界中から獲って食べているのですが、これを人工的に保護すれば、原資材は常に無制限です。今は、山頂までパイプで海水を連結させ、また都市でも高層ビルにタンクを造って、いくらでも養殖をすることができる時代です。人類が食糧問題を解決し得る道はこれしかないと思っているので、先生は二十年間、お金を投入してこのようなことをしてきているのです」(環太平洋摂理 第1章 228-218 1992年4月3日)


「二つの根本的で具体的な方案」


「単純に食べ物を分け与えるだけでは飢えを解決することはできません。より根本的な視角から接近しなければなりません。私は二つの根本的で具体的な方案を考えています


一つは安い費用で食べ物を十分に供給することであり、もう一つは、貧困に打ち勝つ技術力を供与することです」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「お父様が事業をしてお金を稼ごうとするのは…」


「広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して『二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします』と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう」(み旨と海 14章 1977年6月5日)


「お父様が事業をしてお金を稼ごうとするのは、そのお金を貧しい人々が豊かに暮らせるように使うためです。それで、経済的な基盤を中心として、お父様が築いた最高の科学技術を世界の万民解放のために分け与えるのです。それが平準化です」 (真の父母経第10篇 第1章 225-291 1992年1月26日)


「将来の経済の大部分は海からやってくることになるでしょう」(み旨と海 3章 1982年8月28日)


「すべての分野を平和世界に導いていく近道」


「それに対する世界的な組織をつくって主導権を握ることが、世界の金融界をはじめ、すべての分野を平和世界に導いていく、一つの近道だと思うのです。それで、海に対して数十年間計画し、今まで海洋産業のすべてのことを開拓してきたのです」(真の父母経第10篇 第2章 252-210 1993年12月30日) 


「創造主の本意に合うように海を管理し、海を愛する意味から、海を中心として世界を結束することができる舞台をつくろうというのです」 (環太平洋摂理 第1章 128-249 1983年8月28日) 



二十年間の計画と準備


(編集者ノート:真の御父母様は、1974年8月1日、米国で海洋摂理を出発され、基盤形成のための20年計画を宣言されました。真のお父様は、この20年間で築く基盤は全世界の貧しい国々を救援するための基盤であり、それをまず南米から始めると語られました。20年後の1995年、真のお父様は、サンパウロ宣言をもって南米摂理をスタートされました)。


「私は二十年間、基盤を築いてきたのです」


「ビジネス・センスがなければなりません。一年に二千万名が死んでいくのですが、その生命を助けてあげることができなければなりません。土地がある所には農作業の方法、水がある所には養魚のやり方を教えてあげて、飢え死にしないようにしなければならないというのです。夫人たちと子供が釣りをすることができるのに、なぜ飢え死にするでしょうか。水があって魚がいくらでもいるのに、なぜ死ぬのかというのです。ですから、釣りをするのです。皆さんが釣りを教えてあげなければなりません。


また、ハンティングも教えてあげるのです。そこにわにであれ何であれ、獣がどれほどたくさんいますか。世界平和観光狩猟協会も、すべて世界平和のためなのです。なぜこのようなことをするのでしょうか。今まで私は二十年間赤字を出しながら、この基盤を築いてきたのです。飢え死にする世界の人々を、真の父母が責任をもたなければなりません。全世界の人類は兄弟なので、あきらめることができないのです」(環太平洋摂理 第2章 253-109 1994年1月9日)



「二十年前から準備してきたのです」


「今まで、先生の生涯における一次の四十年の生活は、北半球にある先進国家を中心とした、すなわち陸地を中心とした受難時代でした。それで、二十年前から南米における海洋文明圏を準備してきたのです。熱帯地方圏内にあるすべての国を救うために海洋時代を築いてきたのです。そこで受難の道を経てきたのが先生の二十年路程です」(環太平洋摂理 第1章 277-131 1996年4月7日)


「サンパウロ宣言とともに、南米戦線に大移動するのです。ですから、『アメリカを離れると発表しなさい』と話しました。父母様はアメリカを離れ、南米に移動するというのです。ですから、すべての制度と機関を縮小するのです。アメリカに投入していたすべての経済力と人材を南米に投入します」(真の父母経第10篇 第3章 268-131 1995年3月31日)


海洋訓練の目的


(編集者ノート:釣り訓練は、真の御父母様によってつくられてきた伝統です。韓国での教会草創期より、真のお父様は食口たちを釣り訓練されました。食口たちは、野牧、済州島、清平、グロスター、コディアック、ジャルジン、フエルテオリンポ、プンタデルエステ、ハワイ、ミード湖、麗水などで、釣りの訓練を受けました)。


「若い人たちは海に関心をもたなければなりません。ここにいる皆さんの中から、海で事業をすることができる責任者も出てこなければなりません。先生が大西洋に行って二十四時間そのことをするのも、海を愛したという伝統を立てるためです」(環太平洋摂理 第1章 73-142 1974年8月16日)


「ゆえに、今後の世界の海上権を私たちが掌握しなければなりません。今後、陸地よりも海に力を注ぐ時代が来るということを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、先生は海に関心をもっているのです。そのような目的で先生が海に関心をもつのだということを知り、皆さんも海に関心をもたなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 73-142 1974年8月16日)


「統一教会のあらゆるメンバーが必要なことは…」


「皆さんが知っているように、地球の表面の3分の1だけが陸地で3分の2は海です。それゆえに、海を知らずして決して地球全体を主管することはできません。だから皆さん一人一人が、統一教会のあらゆるメンバーが、オーシャン・チャーチの基本的な訓練、ナビゲーション(航海術)や船の修理を含めた訓練を受けることが必要です。我々が神様を中心とした人格を形成するためには、我々がいかに海に対処し、いかにして海の主体となり、またいかにして神様が与えた被造物を主管するかについて知らなければなりません」(み旨と海 14章 1983年8月26日)


「船を十分に手入れしなさい。そして出かけて行って、魚を捕まえなさい。また船を伝道のプログラムのために用いたり、町の若者たちを訓練するために用いなさい。皆さんが必要なものはすべて、船によって与えられます」(み旨と海 8章 1984年2月8日)


「ハンティングとフィッシングは、統一教会の食口はみんな習わないといけないのです。なぜ習うのですか?飢え死にする人々を救うためです。その為に身に付けなければならない技術なのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日) 


釣りもハンティングも習って、アフリカに宣教に出ていくのです。全世界に出るのです。それでは人を救うために、三番目に何を習えば良いでしょうか?それは農業です。第三世界を植民地化するためにやって来た白人たちは、農業技術を教えませんでした。現地の人たちが食べていけるようになってお腹が膨れると、言うことを聞かなくなるし反抗するようになるから、コントロールしやすいようにわざと教えなかったのです。これは白人の犯した犯罪です。先生はテキサスに3600エーカーの土地を買って、モデル農場を造っています。ここで開発した農業技術を使って、10万人から15万人の人材を教育し、アフリカなどの第三世界を開拓するために派遣すれば、飢え死にする人は世界からいなくなるのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「釣り大会を開いて米国の女性たちを連れていき、釣りを教えてあげるのです。母親に釣りを教えてあげれば、どこに行ったとしても絶対に飢え死にしません。水と土地があればいいのです」( 環太平洋摂理 第2章 254-305 1994年2月6日)


考察ポイント:(1)真のお父様は、飢えに苦しむ民を救うために、どのような方案を用いようとご計画されたのでしょうか?(2)真の父母様が1995年に南米摂理を始められる前に、どのような準備がなされたのでしょうか?


食糧分配ネットワーク造成の計画


(編集者ノート:世界の食糧問題を解決するための真のご父母様の基本的な方案は、食糧生産と食糧分配、そして教育の世界的なネットワークを構築することでした。真のご父母様は、全世界の祝福家庭を中心として、世界的な食糧分配網を築くことによって、貧しい国と豊かな国の間の格差を埋めようと願われました)。


「海と関係を結ぶために…」


「海と関係を結ぶことにおいて、一番大切なものは船です。船を造るなら世界的に見て、歴史が流れるに沿って、どの会社が製造するものより統一教会の会社が造る船が、社会から評価されて注目されていくような、伝統のあるものを造っていかなければなりません」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「若者たちが海に恐れを持たないで、『さあ、昨日海に出たんだから、今日もまた海に出ないとならないな』と感じるようになる基盤を、いかに作るか考えました。その時に、沈まないボートを造ろうという考えが浮かんだのです。ひっくり返っても沈まない、大揺れの海でも沈まない船をどうやって造るかと考えました。


子供でも思うように乗り回せる船を、浜辺や近くの川に浮かべて、村の子供たちが船に乗ったり、船の下に潜ったりして面白く遊ぶようになれば、自然と海に興味を持つようになるのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「運輸産業と連結」


「先生がこれほど海洋産業に力を注いでいる目的は何かというと、将来この海洋産業の運送技術を使って、どんな国にも、どんな未開拓な土地にも入っていけるようにするためです。アフリカ地域の貧困に苦しむ人々を救うために、海峡や河をさかのぼって奥地まで入り込んでいける道を開拓するのです。アフリカで飢餓に瀕している人達は、食糧がないといって死んでいきますが、食糧は、世界中の国であちこちに有り余っているのです。


アフリカの奥地では道路などの交通手段が発達していません。未開発の土地では人間が常に水を追い求めながら、水際や河口に住み着いているのです。そこで私たちが小型ボートをうまく利用して、水路が浅くなっている奥地まで入っていくようにするのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「アラスカでいろいろなサイズの、性能の良いボートを造るのです。その後の目標は魚を運送したり、商品を運んだりする輸送船を造らなければなりません。6000トン級の船を造って、何でも必要な量を運べるようにするのです。魚がどんどん捕れるようになれば、輸送船が必要になり、自然に運輸業と連結していくのです。


同じ理屈で、輸送船のサイズを拡大していけば、何十万トンという原油を運ぶオイルタンカーにまでなるのです。世界的な造船所を運営するなら施設を拡大させて、どんな大きさの船でも造れるようにならなければいけないのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「船を製造することを中心として、そこからいろいろな産業が発展します。養殖産業に関連して、技術開発を行い、運輸産業との関係を深め、次第に幾多の生産業と機能的に連結していくのです。このように海洋産業を統括していく関係をつくり、陸地も統括する道を開いていくのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「漁業の重要性と共に、これからは運輸産業を進めていかなければなりません。日本から北海を越えて、ベーリング海峡を通り、アメリカ大陸にまでつながる運輸産業を育てなければならないのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


世界的な食糧分配ネットワークの構築


「余剰生産物と呼ぶ膨大な量の食糧が、毎年倉庫に眠っているのです。先生がダンベリーに収監される前の1980年代に、皆さんも知っていると思いますが、動く家と呼ぶモービルハウストレーラーを200台以上も買いました。全国を巡回して活動しなさいといって、各教会に分配したのです。 


何のためにそうしたかというと、トレーラーを使って倉庫を回り、缶詰や加工食品などのいろいろな食料品を配送するためだったのです。アメリカでは倉庫に貯蔵されている余剰食糧は誰でも必要な人が持っていって良いのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「アメリカを中心国家として、世界の国々が、輸出をするにも輸入をするにも、全ての代表国家であるアメリカを中心として取引を行い、因縁を結んでいかなければならない状況にあるからです。世界中から海を渡り、船舶がアメリカの港にやって来ると、積み荷を降ろした後には、空き船になり自国に帰ります。その空き船がどこかの港に寄ったなら、土地に住む食口が協力して、さっと積み荷を上げ下ろしして、空いたスペースを効果的に使う運搬システムを開発すれば、運輸業者として成功するでしょう。 


土地の政府がこうした船を利用した運輸ネットワークを見れば、必ず関心を持ち、援助しに来るでしょう。それだけのメリットがこのプロジェクトにはあるのです。私たちが海洋産業で一流会社となり、世界に奉仕していく時には、全世界の国家が私たちを援護するようになるのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「港に入港する船を利用して、世界の部落に食糧を分け与える活動を展開する時に、世界の先進国の民衆がそれを知り、刺激されて、興奮する様子を想像してみてください。世界中の港町を回り、到着したら休息を取りながら積み荷を降ろして、現地に入り込んでいければ良いのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「我社は優れた冷凍保存システムを開発しました。それを使い、世界的に流通販売組織を拡大して、水産物であるならどこの開拓市場にも配送できるようにするのです。


市場を掌握していくコツは、合理的な流通販売システムを町村レベルまで組織管理して、価格を落とすことです。そうすれば世界中どこにでも通用するようになります」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


地域市場を主管することにより世界経済圏を掌握


「今までは、先進国や生産をする国が主導権を握ってきました。しかし、今や生産が問題となる時代は過ぎました。生産は誰でもみなできます。


科学技術の発展によって、生産が平準化されました。今に至っては、資源の供給が問題になります。生産国が全権を握って動いていた時代を越えて、今では資源が(主導権と)結びついているのです。どこもたくさん生産しようとするので、資源を中心とした体制になりました。ですから、石油問題が深刻なのです。


生産と資源、そして、供給市場の三大原則から見るとき、今後、経済の権限をどのような国が握るのでしょうか。生産国でもなく、資源をもっている国でもありません。これからは、市場を掌握する国が、経済圏を掌握するというのです」(真の父母経第10篇 第1章 207-062 1990年11月1日)


「今後、世界の経済圏を誰が握るのでしょうか。それは、原料を持っている国でもありません。生産国でもありません。皆さんが知っているように、石油を中心として世界情勢を見れば、石油の生産国が完全に首をつかんで引っ張っています。発展途上国、消費国、販売市場国も、世界経済圏を握ることはできません。

 

ですから、これらの国々が共同体制を構成しなければならない時が、遠くない将来に来るというのです。原料を世界的に共同管理するようになれば、生産も共同管理しなければならず、販売も共同管理しなければなりません。結局は、これを全世界の人々にどのように平等に補給してあげる組織基盤をもつかによって、これからの世界経済が左右されると考えるのです」(真の父母経第10篇 第1章 080-174 1975年10月22日) 


「国々が互いに争い、民主主義と共産主義が闘う立場にあれば、世界の経済圏を誰が握るのでしょうか。生産国でもなく、消費国でもなく、原産地国でもありません。販売組織を世界化して、思いどおりにコントロールできる思想的な団体や国家、宗教が、世界経済権を握ることのできる時が来るというのです。今後、全世界にそのような組織が出てくれば、この組織を管理する人には誰がなるでしょうか。これには、不変の理念運動を通して歴史を動かし得る思想的な団体がなり、民族がなるでしょう」(真の父母経第10篇 第1章090-279 1977年1月4日) 


観光業と趣味産業


「将来、私たちがすべきことは、小型船を利用して釣りをしたり、商品を運搬したりする観光事業を興すことです。観光事業を振興させて土地を観光旅行させながら、帰路には必ず倉庫に立ち寄って、自分の部落で一年の3分の1ほど、食べて行ける食糧を持ってくるのです。観光産業を発展させるにも、こういう小型船の製造技術を使って、いずれは全世界の主な港町に小型船を配置して、数万人の客を相手に観光案内したり、釣りをさせたりするようになれば良いのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「こうして観光産業と趣味産業を水産産業に連結し、運輸船を運航させて、世界の余剰食糧を貧困に苦しむ地域に分け与えましょうということなのです。そこで先生は、携帯的で良質のフィッシュパウダーを開発しました」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「観光事業の基盤を世界的に連結させて、お互いに和合できる世界をつくるのです。その人々を動かしてこそ世界を動かせるのです。それで、今から皆さんは、お互いに額を合わせて暮らす生活をするよりも、そのような名のある人々を中心として外交世界のチャンピオンにならなければなりません」(環太平洋摂理 第2章 275-106 1995年11月3日) 


「ホビー産業です。趣味産業ですよ。分かりましたか?観光旅行させながら村々を回り、物資を移動させながら分配するのです。


そうすればどういう展開になっていくかというと、部落に入って物資の配給活動を行っているうちに、地元の家庭と交流ができ、繋がっていくようになるのです。一年中、季節に関わらず魚を補給することのできるシステムを開発するのです。


そうすれば地域ごとに配給所を組織編成して、誰にでも魚を配給してあげられるようにするのです。こうして土地の家庭と交流を持っていくのです。分かりましたか?」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「世界の先進国家の倉庫に眠っている食糧を分配して、飢え死にしていく人々を救うためにやるのです。海洋産業、運輸産業をこのように小型船を中心に振興させて、観光事業を興せば、いくらでも物資は回るようになるし、有効活用できるようになるのです。こうして先進国と開発途上国が相互に交易していく道を開くのです。世界的なスケールで観光事業を興すのです。


趣味産業とでも呼ぶものが盛んになるのです。将来、世界中の観光地において、統一グループのボートに乗らない所はないと言われるほどの環境になると、考えてください。どうすればこのような世界的組織を作ることができますか?」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


祝福家庭のグローバルネットワーク


「おそらく統一教会のメンバー位世界中を回り、知らない国はない程、世界を知っている人々はいないでしょう。そのように訓練されているのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


国際結婚を通して、いろいろな国と交流を持っている私たちだからできることなのです。アフリカに行って活動することも苦しいことだと考えないで、面白いことだと考えるのです。仕事を楽しんで、実際に奉仕活動ができるのです。アフリカの貧困にあえぐ部落に100家庭が住んでいるとして、アメリカやイギリスなどの100カ国から援助物資が郵送されてくると考えてみてください。


土地の住人は『うわーっ、なんと統一教会は偉大なんだろう。世界の大国やアメリカができないことをしている。本当に世界を一つに結ぼうとしているのだ』と、感心することでしょう。皆さんの努力によって、神様に心から感謝するようになるのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「世界の海洋基地で統一教会の男性ムーニーたちが暮らすのです。これさえつかめば、現在の世界のすべての文化を思いどおりにすることができます。男性ムーニーたちが海岸に集まって、世界の海岸をすべて買うのです。私たちが所有するのです」(環太平洋摂理 第1章 116-326 1982年1月2日)


考察ポイント:(1)真の御父母様がつくろうと願われたグローバルな食糧流通ネットワークの要素にはどのようなものがありますか?(2)どのような目的のために、真の父母様は船をつくり始めたのでしょうか?(3)あなたは、なぜ、真のお父様が観光業を始めることを願われたと思いますか?


食糧生産の計画


(編集者ノート:全世界の食糧問題を解決するための、真の御父母様の基本的な方案は、食糧生産と食糧分配、そして教育の世界的ネットワークをつくることでした。真の御父母様は、釣り、狩り、農業、水産養殖、その他を含むグローバルな食糧生産ネットワークを開発し発展させることを願われました。南米は、この計画の重要な部分でした) 。


「第一に、食糧を低コストで十分に供給すること」


「単純に食べ物を分け与えるだけでは飢えを解決することはできません。より根本的な視角から接近しなければばりません。私は二つの根本的で具体的な方案を考えています。


一つは、安い費用で食べ物を十分に供給することであり、もう一つは、貧困に打ち勝つ技術力を供与することです」(「平和を愛する世界人として」第1章 貧困と飢餓を賢く解決する方法)


「今後、世界の大洋の資源を産業的に開発する必要があります。私は、大型漁船の製造から漁場の建設に至るまで、漁業のあらゆる方面で様々な事業体をつくってきました。未来の海は、世界の数多くの民族に食糧を供給することでしょう。ゆえに、海の開拓こそ世界人類の飢餓を終息させる望ましい方法となるはずです」(環太平洋摂理 第1章 193-324 1989年10月)


漁業、養殖、農業、牧場、フィッシュパウダー


「魚を繁殖させれば、一つの湖で、何千何万世帯が食べていくことも可能です。湖で釣りをして一家が食べていけるのです」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「養殖などは、どこにでも広げていくことができます。海に住む魚は無限です。陸地に限界はあっても、海に限界はないのです。海の資源を開拓して、私たちのおかげで世界中の人が食べていける基盤を築くのです。皆さん、先生が関心を持つべきプロジェクトだと思いませんか」(「海洋圏の開発」1994年8月1日)


「ジャルジンで四百キロメートルの土地を取得すれば、フィッシュ・パウダー(fish powder:魚粉)工場を建てるのです。フランス、イタリア、ドイツ、アメリカ、日本など、先進国家が研究して失敗したものを私たちが開発して成功しました。全世界がパウダーを作り、食糧を補給する道を解決しようというのです。輸送が問題ですが、国連と赤十字社が『我々と共に世界の難民を救いましょう!』と言っているのです。それで、ジャルジンの四百キロ以内の農村に豆を植え、とうもろこしを植え、マンジョーカを植え、いかなる穀物でも植えるのです。そして、収穫されたものをすべて粉にして二十倍に拡大した食糧を作り、それで難民を救ってあげるのです」(環太平洋摂理 第1章 276-194 1996年2月19日)


「ウルグアイに牧場を造ろうとするのは、何のためでしょうか。ブラジルやウルグアイには、牧場を運営して自給自足できる豊富な資源があるからです。ここで繁殖した子牛たちを世界百六十カ国に分け与え、そこで育てて自給させるのです。お金であげれば、使ってしまってなくなりますが、牛はどんどん増えていきます。そのようにして、ある峠さえ越えていけば、世界が生きるというのです」(真の父母経第10篇 第3章 266-140 1994年12月22日) 


「ペルーのような国では、鰯(いわし)が無尽蔵に獲れます。それで、鰯を獲る人々に、『私たちがパウダーにしてあげよう』と言いました。すべての条件が、私たちに有利になってきています。天がすべてそのようにするのです。このようなことを抱えて仕事を処理する人がいません。海洋還元をするためには、私たちが海洋事業に関心をもたなければなりません。それを準備するために、日本人たちを通して、レダを中心としたパンタナールに定着し、その活動を行うのです。アマゾン地域で最も重要なことが自然保護です。公害を防止しながら、食糧問題を解決できる事業を行うのです」(真の父母経第10篇 第3章 326-281 2000年07月15日) 


「世界で捕獲する魚の20パーセント以上がそのまま捨てられます。私はそのようなことを見るたびに、アフリカで飢え死にする人たちが思い浮かび、胸が痛みます。魚は牛肉と比較にならないほど、高たんぱく質です。そのようなものをかまぼこやソーセージにしてアフリカに持っていけば、どれほどよいでしょうか?


思いがそこまで至ると、私は本格的に魚を貯蔵して加工する仕事を始めました。魚をいくらたくさん捕まえても、後処理を上手にできなければすべて無駄になります。いくら良い魚でも、新鮮な状態で8か月以上はもちません。冷凍倉庫にきちんと凍らせておいても、水の間に空気が入って肉から水気が抜けていきます。それで魚に水をかけて再び凍らせますが、既に元の味を出すのは難しいので、事実上、捨てた物と同じです。


私たちは、このように捨てられる魚を集めて粉にすることに成功しました。ドイツやフランスのような先進国でもできなかったことを、私たちはやり遂げたのです。魚を粉にすれば、蒸し暑いアフリカでも簡単に保管し、運搬することができます。フィッシュ・パウダーは、九八パーセントがたんぱく質の塊である高たんぱくの中の高たんぱくで、飢えて死ぬ人類を生かすことができます。フィッシュ・パウダーでパンも作ることができます。私たちは、世界中の貧しい国々を生かす方法を、今も構築しようとしています。


海の中には無尽蔵の食糧がありますが、人類を食糧問題から救う最も優れた鍵は『養殖』です。都市の高層ビルのように、これからは魚を養殖するビルができるでしょう。パイプを利用すれば、高いビルや山の上でも養殖をすることができます。養殖で全世界の人をすべて食べさせて余りある食糧を生産できるのです」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「その解決方法は、南米にしかありません」


「今後の世界で、最も深刻な問題は飢餓です。ですから、食糧を確保することが問題です。その解決方法は、南米にしかありません。アメリカにもないのです。ここでは一ヘクタールほどの土地を利用して、作物を植えることができます。三千坪程度なら、誰もが活用できるような所です。どこに行っても、境界線では広い土地が空き地になっていて、遊んでいます。それを開墾するだけでも、皆さんは飢え死にしないというのです。その次には環境問題と養殖問題です。陸地の食べ物だけでは、良質のタンパク質が不足します。ですから、必ず魚の養殖をしなければなりません。魚を食べなければならないというのです」(真の父母経第10篇 第2章 281-092 1997年1月2日) 


ウルグアイの摂理とオキアミ(小エビ)の漁業


「オキアミを獲って粉にしなければなりません。普通は、これを粉にするのが大変です。粉にして健康食品として売るのですが、私たちが大量生産して、三十分の一の価格で売ろうと思います。それこそ、奉仕するのです。ですから、私たちの船四隻でオキアミを獲れば、大きな関心が集まります。そのようにすれば、アフリカの奥地で飢え死にする人の半分は、助けることができるでしょう。 


自分たちを助けるために、お父様がそのような活動をしていることを、第三世界の発展途上国はすべて知っています。それを研究、開発するのに、お金がたくさんかかりました。今や、実験がすべて終わりました。魚粉を作る工場を、付帯施設まで合わせてウルグアイに造ったのです。


そして、百八十五カ国の宣教部が国と協助し、国家の力を通して販売市場を築くのです。栄養失調にかかっている人々を助けるためのものなので、国家が後援するようになっています。私たちの教会基盤を中心として魚粉を持ち込めば、その国家と販売できる市場を築くのです」(真の父母経第10篇 第5章 第4節 291-121 1998年3月5日)


アマゾン・パンタナール・ウルグアイを繋ぐ180の基地


「パンタナールに冷凍会社を造って、現地人たちが獲った魚を世界に売ることを計画しています。それをするためには、冷凍コンテナが必要ですが、その冷凍コンテナを貸してくれる会社があるので、初めはそれを借りて使っても大丈夫でしょう。私たちは百八十の基地を造ろうとしているのですが、レダ農場で日本人たちがそれを準備しています。 


冷凍コンテナを借り、そこに獲った魚を冷凍保存しておいて、売ることができます。新鮮度をどのように維持するかが問題です。そのようにすることができれば、世界のどこであっても販売市場を開拓するのは問題ありません」(真の父母経第10篇 第3章 387-186 2002年7月22日)


「疲弊(ひへい)した都市形態を、新しい都市、自然と和合した文化都市の形態にしようというのです。レダからビクトリア農場までは六時間かかります。それを連結するのです。『インディオの十九の部族が暮らすその村に広場を造り、病院、学校、その次に、運動できる体育館などに代わる総合センターを造りなさい」と言ったのです。『土地も買いなさい」と言いました。


そのような準備をさせるために、二時間かかる距離ごとに基地を設定したのです。その基地の代わりに、パラグアイ川とアマゾン川に、五十キロメートルごとに百八十二カ所の歩哨所(ほしょうしょ・見張りの兵士が立つ所)のようなところを造るのです。日本人が歩哨所のようなところを造って、観光案内をするのです。そうして、人々が訪ねてくれば、主人の立場で、新しい家庭出発の、教育ができる基地を造るために、杭(くい)を打ち込みました。そのような歴史を経てきたので、皆さんは、それが他人事ではなく、自分のことであると思わなければなりません。父母様が、行くべき峠を越えるための平地化作業をしたことを考え、いつでも涙を流しながら、その地域を巡回しなければなりません」(真の父母経第10篇 第3章 407-176 2003年5月15日) 


考察ポイント:(1)真の父母様が南アメリカで確立しようと願った食糧生産の要素にはどのようなものがありましたか?(2)パンタナール(パラグアイ・ブラジル)では食糧生産を行いますが、どこから食糧分配を行う計画でしたか?


自給自足のための教育計画


(編集者ノート:(1)真のお父様は、食糧を配布するだけでは、食糧問題解決には十分ではないと考えられました。(2)真のお父様は、最終的にはすべての飢えた人々を教育する必要があると考えられました。それによって人々が自給自足でき、食べられるようになるからです。真のお父様は、ジャルジンとレダが、人々に食糧生産の方法を教える教育センターになることを望まれました)。


「第二は、技術力を供与すること」


「単純に食べ物を分け与えるだけでは飢えを解決することはできません。より根本的な視角から接近しなければなりません。私は二つの根本的で具体的な方案を考えています。


一つは、安い費用で食べ物を十分に供給することであり、もう一つは、貧困に打ち勝つ技術力を供与することです」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「人類の飢餓問題を解決しようとすれば、種を蒔く心がなければなりません。種は土の中に蒔きます。目に見えない土の中で発芽して芽を出すまで、忍耐して待たなければなりません。飢餓問題も同じです。食べる物がなくて死んでいく人に一握りのパンをあげるよりも、当面は苦労して日の目を見なくても、小麦を植えて収穫しパンを作る技術を教えなければならないのです。そうしてこそ、より根本的で持続的に飢餓を解決することができます。私たちは今からでも、飢餓で苦しむ地域の風土と土、人々の気質を共に研究しなければなりません」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「食糧を直接援助することと同じくらい大切なことは、食糧を自給できる技術を普及することです。技術力を普及するためには、後れた地域に学校を建てて、文字の読み書きができない人をなくすと同時に、技術学校を建ててそこで食べて生きていけるだけの実力を育てなければなりません。アフリカと南米大陸を征服した西洋人は、彼らに技術を教えませんでした。彼らの土地で資源を掘っていき、彼らを労働者としてのみ扱いました。彼らに農業のやり方も、工業のやり方も教えませんでした。それは正しくないことです。私たちは以前からコンゴ(旧ザイール)、ガイアナ、パラグアイ、ブラジルなどに学校を建てて、農業と工業技術を教えています」(「平和を愛する世界人として」第7章)


「世界の人々を教育できる場所」


「神様が環境を創造しました。ですから、統一教会も伝道するときには、まず環境を創造しなければなりません。それで、お父様が南米に来て、環境を創造するのです。理想的農地、理想的山林基地、理想的水産事業基地、理想的産業基地をすべて準備して、それを収拾するために三万坪を越える土地に家を造るのです。


これは、世界の統一教会の皆さんが行くことのできる標本です。アフリカに行っても、どこに行っても、働かなければなりません。水がある所では養殖をしなければなりません。土地があれば、木を植えなければならないのです。世界は今、酸素のことで問題になっています。アマゾン川流域の樹木を伐採しようとすると、ヨーロッパが『酸素不足が問題になる』と言って伐採をさせないので、アマゾン川流域を開発するブラジルは、『それに対する弁償金が欲しい』といって、甲論乙駁(おつばく)している状況です。ですから、この土地に、空き地がないように木を植えるべき時が来ました。山林を育てておかなければならないというのです」(真の父母経第10篇 第3章 281-067 1997年1月2日) 


「日本の国家メシヤたちに、『早くパラグアイのプエルト・レダで農場を開拓しなさい』と言いました。エバ国家が一つの農場でもモデルを造って、世界の人々を教育できる場所を準備しなければならない責任があるというのです」(真の父母経第10篇 第3章 321-254 2000年4月24日) 


「統一教会員たちは、発展途上国に対して、先導者としての責任を果たさなければなりません。そこに行って幼稚園の先生、小学校の先生、中学・高等学校の先生、大学の教授にならなければなりません。そうして、文化水準を上げながら、飢え死にする人を助けてあげなければならないのです。そのようにするためには、釣りをすることができなければなりません。そのような意味で、百六十カ国に船を四隻ずつすべて分け与え、その準備をしようとしたのですが、皆さんの頭が目覚めず、『それが何の役に立つのか』と考えているというのです。これは、やらなければならないことです」(真の父母経第10篇 第2章 444-191 2004年4月4日)


「ジャルジンの教育計画は…」


ジャルジンの教育計画は、水産事業と山林、そして農業方法、それから工業方法に関するものです。その全般的なことが分かるので、各市を中心として、ここが本部のような仕事をするのです。ジャルジンに建てたものと同じものを拡大し、そのようなシステムをもって単科大学を中心として総合大学を造る計画をもっています」(環太平洋摂理 第1章281-297 1997年3月9日)


「ニューホープ農場はブラジルにありますが、ブラジル人だけのものではありません。空腹な人たちは、誰でもニューホープ農場に来て働き、食べることができます。全世界のあらゆる人種からなる二千人以上の人たちが来て、いつでも食べて休むことができる所です。小学校から大学までの教育機関も一緒に設立し、農業も教え、牛を育てる方法も教えます。木を植えて育てるやり方、魚を釣って加工し販売することまで教えます。農業だけするのではなく、川の周辺のたくさんの湖を利用して養殖場も造り、釣り場も造りました」(「平和を愛する世界人として」第7章)


平準化による平和と統一


(編集者ノート:どうやって貧富の格差で分断されている人類の統一は可能になるでしょうか。ちょうどヤコブがすべてをエソウに与えたように、自然屈服による統一は、祝福されたものたちがより恵まれない人々のために生きてこそ起こります。世界は富める者と貧しい者に分かれていますが、最終的に私たちは、すべての人類が、天の父母様の前で兄弟姉妹として立つことのできる平準化された世界を確立しなければなりません)。


水と愛の性質は「平準化」


「水は、なぜ流れるのでしょうか。水平になっていないので流れるのです。水は、流れてどこを訪ねていくのでしょうか。水平線を訪ねていくのです。水は、海に行かなければなりません。水平を訪ねていかなければなりません」(環太平洋摂理 第1章 263-91 1994年8月21日)


「水は、常に水平にならなければなりません。それが特徴です。海は、いくら大きな波が立とうと水平線を描いています。水平線を見れば、寝ころんでみたくなるのです。『いやー、一度寝ころんでみよう』となるのです。そのようなことができないので船に乗って寝ころぶのです。そのようなことを考えてみましたか。水平線では何をしても、ひっくり返ったとしても頭や足が先にぶつかりません。水平にぴたっとぶつかるのです。そのようなことができるのが水平線です。人間には水平線が必要です」(環太平洋摂理 第1章 263-90 1994年8月21日)


「空気や水は、愛と同じです。空気は、真空が生じさえすれば世界の空気を動員してさっとそこを満たしてしまいます。海の水もくぼみが生じれば、さっと押し寄せて水平になろうとするのです。空気も水も愛も、常に水平になろうとするのがその生き方です」(環太平洋摂理第 1章 264-316 1994年11月20日)


「ジャルジンでは何をするのでしょうか。祝福を受けた家庭が、縦的には上がってきましたが、横的基準に立つことができていないので、今からは横的基準で神様と共に生きていける家庭を、築かなければなりません」(真の父母経 第10篇 第3章 294-319 1998年8月9日)


「...を樹立するために共生共栄共義主義」


「あたかも君主主義の政治的な独裁を防いで、その主権を、人民のものとして取り戻すところから、民主主義が生じたように、国家の財産が、ある特定の個人階級に独占される帝国主義的な経済体制を打破して、人民が、それを均等に享有するようになる経済体制を樹立するために、社会主義を経て、天の側からは、共生共栄共義主義を指向し、サタンの側からはそれに先立って共産主義を指向するのである。したがって、社会主義は、あくまでも真実なる民主主義的な経済社会をつくるために、生じたものであると見なければならない」(「原理講論」後編第4章7・2・7)


南北米の統一の摂理


「今や、南北米さえ父母様を通して一つになれば、韓半島の南北統一はもちろん、イスラエルとイスラーム圏、ヨーロッパまで、統一することは問題ありません。一度にすべて成就するのです」 (真の父母経 第10篇 第3章 266-134 1994年12月22日) 


「文化的基準でキリスト教文化圏になっていて、現代社会を動かすことのできる主導的な役割を、アメリカが中心となって担(にな)っています。南米は今まで、そのようなアメリカに反対してきました。これが一つにさえなれば、強大な勢力になります。そのようになれば、ヨーロッパも自然にキリスト教文化圏、南北米もキリスト教文化圏、その次に、アジアもキリスト教文化圏になるのです。ですから、お父様は、南北米のキリスト教文化圏を一つにして、アジアまで連結しなければなりません。アジアと南北米さえ一つにすればよいのです。そのようにしなければ、生きる道がありません」 (真の父母経 第10篇 第3章 268- 311 1995年4月3日) 


「何によって解決するのでしょうか?」


「東西の文化の格差と南北の貧富の格差は、今世紀に必ず解決すべき課題です。それを、何によって解決するのでしょうか。お父様が教える『為に生きる主義』によってです。『自分のために生きよ』という主義は堕落した世界のものであり、『他のために生きよ』という主義は、天の国のものです。ですから、北にいる裕福な人は、南にいる弟、妹のために生きなければなりません。弟、妹のために自分の財産を売り払い、彼らが豊かに暮らせるようにしてあげなければならないというのです。自分の弟、妹を自分以上に豊かに暮らせるようにしてあげてから、自分の息子、娘にまた投入しなければなりません。そのような場に、永遠の理想が宿ることができるのです」(真の父母経 第10篇 179-171 1988年8月1日)


平準化による南北米の統一


「思想的平準化、科学技術平準化、その次に、経済的平準化、またその次には、すべての情報の平準化運動をしなければなりません。今までは、先進国の数人が座り、発展途上国の生死を自分たちの思いどおりにしてきました。私はそれを許すことができません。私には、この世界を守る責任があります。そのためには、その基盤を築かなければなりません。夜が来ても、雪が降っても、私は準備しなければならないのです。このようにして、反対を受けても、お父様が生きている間にこれほどの基盤を築いたのです」(真の父母経第10篇 第1章 145-120 1986年4月30日) 


「技術を平準化することが、先進国にとってどれほど恐ろしい作戦か分かりません。アメリカのような国は、技術の平準化をするようになれば、持っている技術を南米にすべて引き渡さなければなりません」 (真の父母経第10篇 第1章 180-258 1988年8月22日)


「今までヨーロッパはアフリカを搾取し、またアメリカも、南米を隷属化するための政策を用いてきました。これを私が打破してしまおうとしているのです」(真の父母経第10篇 第1章 225-291 1992年1月26日)


「北米がアベルの立場に立って、カインの立場にいる南米を救わなければなりません。そのためには、すべてを投入しなければなりません。アメリカの人々がお父様の精神を受け継ぎ、自分の生命と財産を南米のために投入すれば、南米を救うことは問題ありません。 


高気圧があれば、自然に低気圧に向かっていって埋めてあげるのと同じように、高い段階にいるアメリカが南米を救わなければなりません。アメリカ人たちは、『私たちには貧しい南米は必要ない』と言うかもしれませんが、南米のためにすべてを投入しなければなりません。 


統一教会の人々は、そのようにしなければならないのです。その長子圏を代表した南米と一つにならなければ、真の家庭と連結される道がありません。皆さんが真の家庭と連結されなければ、真の地上天国の道はないのです」(真の父母経第10篇 第3章 269- 153 1995年4月17日)


「アメリカ人は南米に行って訓練し、南米の人はアメリカに行って訓練しなければなりません。二カ国語を話せるようにして、これから一つにするのです」(真の父母経第10篇 第3章 271-287 1995年8月28日)


「富の平準化を成し遂げてくれます」


国際平和高速道路は、世界の地下資源と人的資源の不均衡を調節し、等しく豊かに暮らす富の平準化を成し遂げてくれます。平準化とは、高いものは少し低いところに引き下げ、低いものは少し高く引き上げ、互いの高低を合わせることです。そのためには、より多く持っている人、より多く知っている人の犠牲が必要です。平和世界の建設は、一過性の善意や寄付ではできません。絶えず自己を犠牲にし、自分が持っているものを惜しみなく与える真実の愛こそが平和世界をつくっていくことができるのです」(「平和を愛する世界人として」第7章)