佐藤健雄(777 双祝福家庭 )
筆者について
この証は、2000 年8月、月刊誌「Family」に掲載された佐藤健雄氏(777 双祝福家庭 )による証の一部です。氏は1986 年より2019 年までの33 年間、北米と南米での海洋摂理を担当し、釣りやボートづくりの現場で真の御父母様に侍り、ご指導にあずかりました。
1986年に日本より渡米後、米国オーシャンチャーチ代表およびTrue World Marine(ボート製造販売)社長の任に当たり、真の御父母様のご指導の下で、1997年に米国ニュージャージ州リトルフェリー市にボート工場を新設し、2004 年8 月には、「南米にボート工場と海洋関連事業を興しなさい」との直命を受けました。
内外の困難を越えて、2012年にパラグアイ国アスンシオン市近郊に、第一次仮ボート工場を建設、アクアムンド社としてボート製造販売の基礎を築きました。同時に海洋国家日本においては、2007年の第7回株主総会時に御父母様より「12販社」設立のご指示を受け、2012年には、「278隻を日本に導入するように」とのご指示を受け、その実現のために歩みました。6回の甚大な洪水被害を克服するなど、様々な内外の困難な条件下での歩みではありましたが、パラグアイと日本での海洋趣味産業基地実現のために歩みました。
海洋摂理の重要性を理解される食口の皆様とともに、2019年までに13 隻の28ft グッドゴーボートを日本に導入。2015年3月には真の御父母様(お母様)より清平で「功労牌」を拝受いたしました。はからずも2018年にはパラグアイ政府より、現地アクアムンド社が「社会貢献度No.1の会社」として表彰されました。2019年3 月、志(こころざし)半ばで、真のお父様の待たれる霊界へ旅立ちました。その後、バトンを受け取る者たちによって、御父母様の海洋摂理にかけられた夢を実現するため不変不屈の歩みがなされています。
この証は、海洋摂理を通してお父様に侍った生きた証であり、海洋趣味産業摂理が天一国実現のためにどれほど不可避な摂理であるか、その原点的観点を証し、伝えています。
*****証*****
前文
神様と真のご父母様のご聖恩に心より感謝申し上げます。同時にまた、6 月17 日のアラスカでの「海洋還元宣布」、6 月24 日の韓国での「陸地還元宣布」、6 月29 日の「天宙還元宣布」の勝利を心よりお祝い申し上げます。
ある種の直感と使命感
私は1986 年10 月15 日、海洋摂理を担当するために、100 人ほどの兄弟姉妹とともにアメリカに来ました。そして、すぐにアラスカでの真のご父母様主催のフィッシング修練会に参加し、多くの海洋摂理に関するみ言を直接、拝聴する機会を得ることができました。
このとき私は、「今アメリカで展開されている水産摂理は、真のご父母様の願いから見るとき、何か焦点が定まっていない」ということを痛感しました。このアラスカでの修練会で受けた「ある種の直感と使命感」が、私をして真のご父母様の海洋摂理、すなわち釣りの世界に、どんどんと近づけていく主要因ともなり続けてきたのです。
フィッシングに出られる前のお父様の質問に答える筆者
(2000 年6 月7 日 米国ニュージャージー州リバティーハーバーマリーナ)
私は当初、オーシャンチャーチ(海洋教会)など、魚を中心とした3 分野(釣り・レストラン経営など)を担当して、フロリダ州のジャクソンビルに2 年8 か月の間、滞在しました。私にとってその場所は、その「直感と使命感」に挑戦する最高の場所でした。
ここには、しっかりしたオーシャンチャーチの責任者 バーレン・オリバーというアメリカ人の食口がいました。そして、ワンホープ号のほかに43 フィートのリンダ・スーという鯛釣り専門のボートや、ギルネットを使った釣りを行う川用のボートを使って、自立できるだけの活動を展開していたのです。
一度、海に出ると一週間から10 日間ほどのトリップ(沖合での釣り)を行い、スナッパ(Snapper)とかグルッパー(Glupper )という魚をたくさん釣ってきます。そして彼らは、次のトリップまで、町の中を流れる大きなセントジョーンズ川に、小さなボートで出ます。そして、ギルネットを仕掛けて毎晩、朝方までボートの上に宿泊して、海マスやボラなどを取るのです。
私は、「この活動は、真のご父母様が語られた海洋摂理の核心に迫るものではないか」と感じました。それで毎月一回、この大西洋のど真ん中に出て行うスナッパー・フィッシングと海マス釣りに参加することに決めたのです。後にバーレン・オリバーが他部署に異動するときには、私自身が次のキャプテン候補者になるくらい投入しました。
「全米300 か所のオーシャンチャーチセンターを再確立する」
この間、真のご父母様は、私が赴任していたフロリダに、バショウカジキ釣りに2 度来られました。1988 年の10 月から12 月にかけてです。
私は、ウエストパームビーチとキーウエストで行われたこのフィッシングに参加することを通して、再び直接、真のご父母様のみ言に触れる機会を得ました。このうちの一回は、真のご父母様を中心とするアメリカにおける海洋摂理の第二の出発のための「40 日全米視察路程」の最後の日です。とても重要なみ言を語っておられるときでした。そこで真のお父様が出された方針は、「52 フィートボートを300 隻つくって、全米300 か所のオーシャンチャーチセンターを再確立する!」というものでした。そのためにマリーナを買い、本格的に海岸線に拠点をつくるということが強調されていました。そのとき私が感じたのは、「私自身が海の専門家にならなければならない」ということでした。
「海に出なければ、統一教会の根本精神は理解できない」
翌1989 年は、真のお父様が、ハドソン川で、ストライプトバス・フィッシングプログラムを開拓され、その出発とされた年です。私はこの年の夏のグロースター・オーシャンチャレンジにキャプテンとして全スケジュールに参加していました。
「海に生活の基盤を置いて、海から物事を考えること」が、このときの私のテーマでした。それは真のご父母様の世界をより正しく知るためです。真のお父様は、「統一教会の精神は海から形成されてきた。すなわち海に出ずしては、統一教会の根本精神は理解できない」と語っておられるからです。実際、真のお父様は、当時のマディソン・スクウェアガーデン、ヤンキースタジアム、ワシントン大会などのメッセージを、ほとんどニューホープ号の上でつくられたと言われています。
1989 年の9 月には、私自身がアメリカにおけるオーシャンチャーチの責任者に任命されることになりました。
私たちの釣具店でリールと竿をチェックされるお父様
(2000 年5 月27 日ニュージャージー州リバティーハーバーマリーナ)
この頃になると、グロースターではジャイアント・マグロが釣れなくなったので、カナダ沖の近くまで行ってマグロ釣りをしたことや、ロングアイランド沖50 マイルくらいの所で100~200 ポンドの小マグロを、真のお父様や神山威先生と、竿でたくさん釣ったことなどは、特筆すべき思い出として残っています。
私はこの闘いを通して、魚や海や水、そして海洋摂理がなぜ人間にとって重要なのかという
ことなど、釣りを通して真のご父母様が教えようとしておられる世界を学ぶことができました。
「真のお父様は魚の生まれ変わり」
真のお父様がダンベリーで、来る日も来る日も釣りのことを他の囚人たちに話されてい
たということを聞いたのも、このときでした。政治的理由でダンベリー刑務所に入られて
いるときに、真のお父様から伝道されたビル・シェパードという人がいます。真のお父様
と400 日間、一緒にいたこの方から私が直接聞いた証しによると、真のお父様は宗教指導
者だと聞いていたのに、「来る日も来る日も話すのは釣りのことばかり」だというのです。
どこでどのような魚をどのようにして釣ったということを興味深く話されるので、最初の
100 日ぐらいは、「魚釣りの好きな宗教指導者」と思っていたということでした。
200 日間、続けて違った魚釣りの話をされるのを聞いたときには、レバレンド・ムーン
は宗教指導者というよりも、「本格的なスポーツ・フィッシャーマン」だと思ったそうで
す。ところが300 日目を迎えてもなお、真のお父様が違った魚釣りの話をし続けておられ
るのを聞いて、この人は「漁師なのか」と思ったということでした。そしてついに400 日
目まで話し続けられたときには、「この人の血管には海の水が流れているのではないか」と
思ったというのです。
すなわち、「真のお父様は魚の生まれ変わり」なのではないかと思ったということでし
た。このことを聞いて私は、「真のお父様は確かに私たちとは違う世界に生きておられるお
方だ」と思いました。
人類の救いをかけ緊迫した戦いをされる真のお父様
また、私はこの頃、真のお父様とともにいろいろな所でのフィッシングに同行されてい
た神山先生から、真のお父様の釣りに関する証を聞き、その天才的釣りのテクニックの裏
側に、いかに魚の性質を正確に見抜く力を持っておられるかということに気がつきまし
た。
アラスカで初めて挑戦された川でのフライフィッシングに海釣り用釣り具を持って行っ
て、神山先生や他の人々がほとんど釣れない中、真のお父様は産卵期におけるキングサー
モンの性質を見事に見抜き、日本人の釣り師など、そのテクニックを窮めた人々と同じよ
うに釣っておられるのを見て驚いたという証しなどは、その最たるものです。
真のお父様は常々、「魚がお父様の所に寄って来るのだよ」と語っておられますが、この
ような光景、現象を見るにつけ、真のお父様が万物の主管主であられるということを感じ
させられます。
この頃の真のご父母様の釣りは、次に展開される摂理の勝利のための条件路程でもあっ
たようです。その緊迫した闘いは、異様なほどでした。他のリーダーが真のお父様の魚よ
り大きい魚を釣ったことを報告しようとしたり、お見せしようとしても見向きもされず、
まだ何かに向かって一心不乱に挑戦しておられ、人類の救いをかけた摂理的次元で戦って
おられる真のお父様であられるということを強く感じました。
この頃、私自身も強烈な試練に遭ったことがあります。ストライプトバス釣りのときで、釣れた魚の数の報告のことで問題があったのです。真のお父様に弁解することもできず、自分と先祖の罪をただただ悔い改める日々でした。
この頃は真のお父様は、「魚の血を流すことによって人間が戦争で血を流すのを蕩減して
いる」とも言われていました。
しかし最近では、真のご父母様によってもたらされた摂理の勝利とともに、そのような時期を越えられ、真のお父様は他のリーダーの方々が釣られた魚を持って写真を撮ってくださる光景も見られるようになりました。
「世界一のボート会社にする」
1993 年夏、完成した初めての16 フィートのボートをアラスカの真のご父母様の元にお届けして、お父様も同乗されてテストドライブをしたことがありました。その日、「16 フィート以上の波があります」と、当時の担当者のデービッドが真のお父様に報告したのですが、それでも真のお父様は、全長16 フィートのボートでテストに出られました。このとき「いつまでお父様に頼るのか。もう自分たちで物事を考え、研究してボートづくりをしなさい」と語っておられました。もちろんテストドライブといっても、ボートの長さ以上に波高の高い荒波の中での、キングサーモンのトローリングによる釣りです。運転していた私は、横波
を受けて転覆してはいけないので、必死でボートの方向性を調整しながら波と闘っていました。そのようなとき、魚がフックオンしたのですが、波が激しくて引き上げるのが難しく、ついに取り逃がしてしまったのです。
真のお父様と共に16 フィートボートのテストドライブに
出る筆者(1993 年7 月 米国アラスカ、コディアック)
そのとき、真のお父様は「なぜ、佐藤君は運転をもう一人のメンバーに任せて、釣りのほうを手伝わなかったのか」と叱咤されました。深刻な判断を一瞬でしなければならない、厳しい試練でした。
真のお父様はよく、「海洋摂理を理解するリーダーがいない」と慨嘆されますが、このアラスカ滞在中のフィッシングのときも、ボートの上で釣りがスローになったとき、私に向かって、「お父様が取り組んでいるこの海洋摂理がいかに重要で深刻なものであるか、知っている者がいない」と寂しそうに語られていたのが印象的でした。
アラスカから帰るときにごあいさつを申し上げると、突然立ち上がられながら、「2003年までには世界一のボート会社にする」「自分たちの生活のためのお金をつくっているような外のボート会社は、全世界から包囲して越えていくんだ」と、強烈に語られました。
海洋趣味産業の確立によって天国建設の時代圏に突入
1993 年12 月末、私は韓国を訪問しました。その際、漢南洞の広間で真のお父様は、趣味産業、特に海洋趣味産業時代の到来について語られました。趣味産業とは、いわゆる私たちの考える趣味という意味ではなく、「現在の人間は、お父様の目から見たら『奴隷労働』をしている。ただ食べる目的のためにだけ働くお金の奴隷となっている。『趣味労働』基礎とした趣味産業時代は、人間は個性と創造性を発揮して無限に生産力を上げ、喜んで働く時代であり、お金や食べ物のためだけにする奴隷労働時代は終わる。それが天国生活なのだ」と話しておられました。この海洋趣味産業の確立によって、いよいよ天国建設の時代圏に突入していくと感じました。
伝統の核心はオーシャンゴーイング・トラディション(海に行く伝統)
1994 年春、ストライプトバス・フィッシングの最中、真のお父様は、「8 月1 日に海洋摂理20 周年記念の行事」をベルベディアで行うよう、朴相權先生に語られました。その下で働いていた私は、倉庫の火事によって失ってしまったり、散在してしまっている写真や歴史的なもの、摂理上の記念品などを収集するため、過去、現在にわたるほとんどの担当者に当たりました。これらの資料を海洋摂理20 周年の結果、業績として集約する作業のため、約3 か間、不眠不休の闘いとなりました。この中で、私は次のような重大なことに気づいたのです。
海洋摂理20 周年記念メッセージ ボートの一般市場への販売宣言
(1994 年8 月1 日 米国ニューヨーク州ベルベディア)
真のお父様が常日ごろ言っておられるように、「確かに海洋摂理を本気で進めておられるのは真のご父母様だけであり、活動を分析すると、真のご父母様の活動とみ言のみがこの世と違う点である」ということです。他の活動は、それなりの意義はあっても、外的に見れば、この世の人々が行っていることと変わりがなく、比較にならないほど小さいものであると感じました。
そして、「では一体、真のご父母様がこの摂理を通して取り組んでおられることは何なのだろうか。私たちが相続すべきものは何なのだろうか」と考えました。
そうして、「食糧問題の解決のために、豊かな国から貧しい国に食糧を運ぶことや、貧困な国の若者たちに技術教育を施すことなどは、国連のフードプログラムやNGO(非政府組
織)が必死に取り組んでいるが、全体の局面を転換させるほどの効果はそれほどなく、これをまねしてもあまり意味がない(当面の効果のみ)。それどころか、食糧問題はアダムとエバの堕落以来、歴史を通していつもあったことであり、現在でもどこにでもあることである。そう考えると海洋摂理は、ただ単に水産事業を行うことでも、釣りを奨励することでもない」と思いながら、「み旨と海」を何度も読み、考えました。
その結果、到達した結論が、「み旨と海」の中の「伝統の核心」であり、「生きて死の道
を行くという思想」、すなわち「オーシャンゴーイング・トラディション」と言われるグロ
ースター精神であり、アラスカの精神であり、ハドソン精神であることが分かりました。
この精神が統一教会の伝統精神となり、祝福家庭のすべてが海洋摂理を通して相続してい
くべき精神であるという結論に至りました。
「食糧問題を解決すれば、全人類ははるかに早く、
真のご父母様として迎えるだろう」
ちょうどこのとき、真のお父様が示唆してくださった20 周年記念行事のテーマは、「20 周年記念行事をできる限り大きく祝うことによって、真のご父母様が築いてこられた勝利的伝統精神を私たちに相続させることができれば、真のご父母様はまた新しい出発ができる」というものでした。真のお父様はこの記念日に、これまでの摂理のすべてをまとめ、詳しく説明してくださいました。そして、「この海洋摂理を通して人類の食糧問題を解決すれば、全人類は真のご父母様を宗教的方法よりはるかに早く、真のご父母様として迎えるだろう」と、この摂理のとても重要な意義を訴えられたのです。
新しく創造された「グッドゴー・シリーズ」16ft, 20ft, 24ft, 28ft ボートの展示
(1994 年 海洋摂理20周年記念行事 米国ベルベディア)
そしてこの日、真のお父様は、これまで決して売ることのなかった「グッドゴーボート」を一般に販売することを許可されました。このことは正に、全人類にとって計り知れないほどの福音なのです。
お父様が直接指導されてつくられたボート
真のお父様がボートに関していかに深く、そして直接に関わっておられるでしょうか。真のお父様は、あの質素なリバティーハーバーマリーナでボートをつくっているときにも、ニューヨークに帰ってこられると、必ずといっていいほど、ボートづくりの現場を訪問されて、こと細かに改良点を指示されたのです。
おそらく真のお父様は、ボートを使ってフィッシングをしている人々の中で、最も多くボートに乗っておられるお方といっても決して過言ではないでしょう。すなわち、「真のお父様ほどボートのあり方に詳しい人はいない」と言えると思います。
「グッドゴーボート」は、そのような真のお父様がつくられたボートです。形、サイズ、水の切り具合、デッキの構成、重さ、機能性、あらゆる点において、真のお父様が手を取り足を取り、直接指導されてつくられたボートです。これほどまでに真のお父様ご自身が直接、血と汗と涙を流され、投入してつくられた製品がほかにあるでしょうか。
もちろん、生き馬の目を抜くようなボート業界の中に参入するのですから、真のお父様
のそのボートづくり、フィッシング思想を相続した上での、私たちの日進月歩の技術革新、
コストダウンなどの努力が必要なことはいうまでもありません。
「グッドゴーボート」が世界の海を埋め尽くす
海洋摂理20 周年記念行事のとき、すなわち真のお父様の「公的市場へのボート販売宣言」からちょうど4 年後の1999 年8 月に、ようやく神様と真のご父母様によって導かれる中、朴相權社長のご苦労によって、イーストガーデンから30 分以内という条件にかなう、ニュージャージー州のリトルフェリーという所に、ようやくボート工場といえるような会社を正式にスタートさせました。これで、一般市場にボートを販売できるささやかな体裁を整えることができました。
名前も全く新しい会社で、「トゥルーワールドマリン」と言い、宣伝も何もかもすべてこれからですが、今年(2000 年)一月からのボートショーでのお客様の反応は驚くべきもので
した。「理想のボート」、「夢のボート」、「ボート業界のトヨタだ」、「このボートショーで一番いいボート」と言われ、大人気でした。
お父様が幾度も来られてご指導されたリトルフェリーボート工場
(米国ニュージャージー州ハッケンサック川沿)
遠からず、真のご父母様からの人類へのプレゼントである、この「グッドゴーボート」が世界の海を埋め尽くすときが必ず来るでしょう。1996 年5 月3 日、真のお父様は、真のご父母様が確立された伝統精神の相続のための特別祈祷を、担当者をそれぞれの地域に3 人ずつ立てて行われました。ニューヨークでは、ブリッジポート大学のドクター・チンとドクター・アンソニー・グエラと私の3 人が立てられました。真のご父母様の打ち立てられた海洋伝統精神を相続し、全食口、全人類に伝達していくのみならず、「各地にそれぞれの伝統精神を確立し、相続させていくように」とのことでした。
海洋摂理、海洋精神の相続式、祝祷後の記念写真
(後列中央が筆者1996 年5 月3 日 米国ニューヨーク州イーストガーデン)
「天地父母天宙安息圏宣布」のための28 フィートボート建造
このような中でボートの改良は進み、真のお父様は、「1997 年陰暦7 月7 日の「『天地父母天宙安息圏宣布』(「七・八節」)の日を迎えるまでに、新しい型の28 フィートグッドゴーボート2隻の建造を間に合わせるように」という絶対命令を下されました。(360 万双祝福と共に2 隻のボートの完成が「7・8 節」宣布のための条件だったのです)。この時に、現在の「28 フィート・ハードトップキャビン付きフィッシュアラウンド(キャビンの周囲どこでも釣りができるという意味)-オフショア・ファミリーボート(沖合遠くに家族で釣りに出られるという意味)」が完成しました。
現在では、この完成級の28 フィートキャビンボートを土台にして、南米のパンタナール用のハウスボートをつくったり、ジェットドライブボートをつくったり、応用展開も始めています。
ハドソン川を挟んで、マンハッタンの対岸のニュージャージー川のジャージーシティーにボート販売場や釣り具店、修理工場、そして若者たちを教育訓練する環境なども整備されつつあります。チャーターボートのキャプテン資格を持つメンバーも6、7 人となり、チャーターフィッシングビジネスも盛んになってきました。
七・八節に合わせて完成したTE283ー「なんという乗り心地のよさ!」というタイトルで
米国ボート雑誌が紹介(1997 年 米国ニューヨークハーバー)
このフィッシング・ステーションとしてのリバティーハーバーマリーナと、釣り場としてのハドソン川、ハドソン湾、ニューヨークバイトは、世界で最も釣り船の多い所の一つであり、海洋趣味産業時代の先端を切るにふさわしく、世界に拡大するためのモデル基地をつくる最高の場所です。
ボートを世界全域へ拡大するために
このような状況の上で今回(2000 年)、真のお父様は二回の「21 日フィッシング路程」を行われました。第一回目は、「ハドソン川ストライプトバス特別フィッシング路程」であり、第二回目は5 月21 日からの「海洋摂理特別路程」です。
ハドソン川ストライプトバス・フィッシングは、4 月21 日から「真のご父母様ご聖婚40周年記念第一回フィッシングトーナメント」として行われました。その前日(4 月20 日)に、真のご父母様は「第二次40 年路程出発の日」を宣言されました。この行事には、韓国、日本、アメリカから、120 人ほど参加して行われましたが、当初2 日間だったスケジュールが4 日間に延長され、目標を達成するための熾烈を極めるトーナメントとなりました。
その後、5 月5 日に、真のご父母様は、パラグアイのアスンシオンを皮切りに始まる南米ツアーのため出発されました。そのツアー中、ウルグアイのモンテビデオでは、トップオーシャンの出航式を行い、新しい海洋摂理出発のための条件をささげられました。
また、パンタナールでは、「神様よりパンタナールの自然 (万物世界)を愛した」という条件を立てられ、5 月20 日、真のお父様はイーストガーデンに戻って来られました。そして翌5 月21 日、早速、真のお父様はリトルフェリーボート工場に来られたのです。「ボートの一般市場への販売と世界化」のための最終「改良」目標と、12 隻のボートの建造を指示されました。そして、このボートの「世界全域への拡大戦略についての現実的方策」について話されました。6 月11 日までにこれらの計画を完全に完成させなければならないことも語られました。
1963 年から2003 年までの40 年間
海洋摂理の完成による第三祝福・万物主管権復帰の期間
5 月22 日、真のお父様は朝8 時にママロネックの市の公営波止場からフィッシングに出られ、真のお母様のヨーロッパツアーの祝勝会のため、午後1 時35 分にイーストガーデン
に戻られました。
ボートの世界化、南米プロジェクトなどについて語られ
指示されるお父様(2000 年5 月ハドソン湾フィッシング)
しかし翌23 日は、午前6 時5 分に波止場を出航され、イーストガーデンでの祝勝会の後、再
び午後4 時から釣りに出掛けられ、日暮れとともに終了しました。翌24 日は午前5 時30 分の出航と、だんだん早く出航されるようになったのです。これは4 時半にイーストガーデンを出られたことを意味します。
27 日には、朝三時にイーストガーデンの玄関に立たれていたのですが、3 時半集合となって
いたスタッフは大変、慌てました。真のお父様は、釣りを日暮れまで行われるので、イーストガーデンに帰られるのは夜9 時、10 時になります。そして、夕食後も重要な会議が行われることが多く、一日のスケジュールが終わるのは、深夜の12 時から午前1 時ころにもなります。したがってこの期間、次の日の釣りのスケジュールについての確認の電話が、真のお父様のアシスタントから午前1 時過ぎになって来ることが多くありました。
あるときは、激しい雨を伴ったサンダーストーム(雷鳴を伴う暴風雨)の日に、朝4 時半ごろ、直接、真のお父様から私の携帯電話に、「約束したんだからね。時間に遅れないように。先生は時間どおりに港に行くよ」と確認の電話がありました。
真のお父様は、6 月2 日の第38 回「真の万物の日」を、海洋摂理40 年路程の最後の三年路程出発の日と考えられ、真のお父様のフィッシングスケジュールは、真のお母様が世界訓読ツアーから帰ってこられた翌日の6 月1 日まで及びました。
真のご父母様は、「『天勝号』の進水後、1963 年7 月26 日に『万物の日』を制定されたと
きが海洋摂理の真の出発であり、このときから2003 年までの40 年間が、海洋摂理を完成さ
せ、人類が食糧問題を克服し、神様の第三祝福である万物主管権を回復させるための期間で
ある」と言われます。
真のお父様が第38 回「真の万物の日」の6 月2 日の前後、21 日間にわたってフィッシングをされていたのは、具体的にはニューヨークエリアからカナダ沖に至るまでの釣り場の調査を完璧に行い、世界から釣り観光団をこの地に動員できる基盤をつくるための手本を示されていたのです。
夕方、雨の中をフィッシングから帰って来られたお父様
(2000 年6 月10 日 リバティーハーバーマリーナ)
この間、真のご父母様は、5 月25、27、29、30 日の世界訓読ツアーの祝勝会を海洋教会の拠点であるリバティーハーバーマリーナで、26 日はボート工場で行われました。そして、「兄弟姉妹たちに『この場所』を広く宣伝しなければならない」と語られたのです。
この21 日路程は、「リトルフェリーの造船工場とリバティーハーバーマリーナのようなフィッシング・ステーション、および完全に開拓された漁場」が確立された基地を、「海洋趣味産業摂理基地のモデル」として、全世界に拡大するための具体的方策を示された「21 日間に及ぶ激しいフィッシング路程」でした。この路程を6 月15 日に終えられ、翌16 日、アラスカに発たれました。
「メンバーはボート工場で働き、ボートを販売しなさい」
(2000 年5 月25 日 米国リトルフェリーボート工場)
「本格的意思を全世界の指導者に示すため」
そして真のお父様は、これら一連のすべての勝利的活動の基盤の上で、6 月17 日の朝、「海洋還元宣布」の祈祷を天にささげられたのです。すなわち、これから三年間(海洋摂理40年目に当たる2003 年まで)の海洋摂理の絶対的勝利の条件と環境は整えられたのです!
アラスカにたたれる前、真のお父様は私たちに最後の確認事項として、次のような内容を語られました。
「6 種類12 隻のボートのうち、28 フィートと24 フィートの2 隻は、6 月23 日までに完成させること」、「ボート製造チーム、4 チーム、5 チームを早く編成すること」「ボートの製造をしている人も陸上で働く時間をなるべく短縮して、フィッシングチームに編入してフィッシングスポットリサーチを朝と夕方に行うこと」、「釣り具商品、特に釣りざお作りを早く始めること」、「ボート工場については、真のお父様が海洋趣味産業に対して本格的意思を持っておられることを全世界の指導者に示すため、できる限り本格的なものをつくること」
コストダウンや軽量化など各ポイントに及ぶ細密な指示
(1999 年10 月28 日 米国リトルフェリーボート工場)
健康で豊かな地上天上天国をつくる天命
真のお父様は常日ごろ、「人間の体は、その4 分の3は水で構成されているので、人間の生活の4 分の3 は水や魚と関係を持って生きていかなければならない」と言われて、生活の4 分の3 の時間をフィッシングに費やしておられるとのことです。
さらに、「神様の創造がそのようになっているので、食生活も4 分の3 は海の幸を食べるのが必然であり、その80 パーセントくらいは生で食べられるので、全人類がそのような火を使わない食生活をすれば、将来、地球が温暖化することはなく、大気汚染も減少する」と言われているのです。
今回、ハドソン湾でフィッシング中、真のお父様は魚の生態を語られながら、「魚は海の専門家」と言われました。ですから、人間も魚と同じように、魚と海の専門家となり、海洋訓練の中で万物に対する主管権を復帰して、真のご父母様のこのご指導の下で、全人類に「奴隷労働時代」を脱却して、食糧問題をことごとく解決し、健康で豊かな地上、天上天国をつくっていく天命があるということです。
海産物を食糧源として、より多く摂取し続けてきた日本人が、平均寿命も平均健康寿命も世界一となり、IQ 値の基準も最高を記録するようになりましたが、海洋国家日本は、正に海洋趣味産業時代のリーダー国家にふさわしい国です。日本人が、そのような海洋摂理の先頭に立って、新しい千年紀、海洋時代を切り開く主役となるべき時が本当に来たと思います。
ストライプトバス・フィッシング中、真のお父様を中心に
(魚をもっているのが筆者 1996 年5 月2 日 米国ハドソン川)
「海洋趣味産業摂理主流時代が来る」
人類が、魚や鳥のように、水でつながった一つの地球の上で一切の国境意識を持たず、一つの家族のように生活する海洋生活時代が、もうそこまで来ているのだと思います。「真のご父母様は、なぜこれほどフィッシングに出られるのですか」という質問に対する答えは「本然の人間の生活の姿だからです」ということになります。ごく平凡な結論になるのです。
「真のお父様はフィッシングをやめるかもしれない」とか、「将来、この海洋摂理はなくなる」などと、期待感を持って語る人がいるとするならば、それは全く逆です。真のお父様ご自身が、「海洋趣味産業摂理主流時代が来る」と言われているのです。
今回の「海洋還元宣布」によって、真のご父母様の海洋趣味産業摂理には何の障害もなくなり、今後、全面的に摂理の主流の中に登場してくることでしょう。全統一食口、祝福家庭は、これまでの陸地偏重時代の文化、文明、生活習慣の影響を断ち切り、「海洋時代」にふさわしい生き方に生活を転換すべき時を迎えています。
そうしなければ、悠久なる歴史の中で真のご父母様の思想と伝統から大きく外れていくという、重大な過ちを犯す結果となるでしょう。そしてこの海洋趣味産業こそ、真のご父母様が命懸けで開拓され、祝福家庭に相続させてあげようとしておられる最高の賜物と言えるのです。
最後に、「み旨と海」から、真のお父様のみ言を紹介します。私の報告の理解の一助とな
れば幸いです。
*****み言葉*****
「み旨と海」
我々は30 の教会センターを持ち、各センターが10 隻の船を持つべきです。つまりアメリカ全部で300 隻の船です。そして各オーシャンチャーチのセンターは、教会として機能すべきであり、各々の船も教会となります。だから我々は「船の教会(ボート・チャーチ)」を持
つことになります。(109p)
「海はすべて未来と関連しています。知りませんでしたか。皆さんは海に関心を持たなけれ
ばなりません。さもなければ、歴史の中にただ消えていってしまうだけです。将来の指導者
の資格は、『海について知っていること』というようになるでしょう。また、基本知識は、
船の扱い方の知識ということになります。海について知っていること、それに取り組むこと
ができること、このことが将来指導者としての資格を持つための基本条件となるでしょう」
(173 頁)
「将来、統一教会の唯一の希望となるのがオーシャンチャーチです。先生に近い者とは、海で成功しようと決意する者のことです」(299 頁)
「海は将来のわれわれの基盤であり、われわれは何らかの方法で、この海の摂理に参加するようになるのです」(438 頁)
「オーシャンチャーチと海洋ビジネスは神様の摂理です。先生は以前、何度もそのことを
宣言しました。今晩、再び宣言します。これらは摂理的使命なのです。したがって、この
み旨に命懸けで歩む者はだれでも神様の祝福と守りを受け、栄える者となるでしょう」(500 頁)
「広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています」(513 頁)
「先生は、あなたたち美しい女性が船の船長となって海に出て行き、海のことについて
非常によく理解し、男たちもその命令に従うことをいとわなくなる姿を見たいと思います」
(520 頁)
「世界の将来の経済や、世界の食糧問題、人類の死活問題は、海によって決定することができるのです」(542 頁)
「将来、オーシャンチャーチの基盤のほうが陸の教会よりももっと大きくなるだろうと、先生は感じています。これまでわれわれは陸上の教会の時代に生きてきました。今からはオーシャンチャーチの時代に生きるようになります」(546 頁)
「皆さんが知っているように、地球の3 分の1 だけが陸地で、3 分の2 は海です。それゆえ
に海を知らずして、決して地球全体を主管することはできません。だから皆さん一人一人が、統一教会のあらゆるメンバーが、オーシャンチャーチの基本的な訓練、ナビゲーション(航海術)や船の修理を含めた訓練を受けることが必要です」(545 頁)
「一度、皆さんがそのような海の敏感さを理解し、海と対話し、それに対処するならば、神
様の創造された万物の最も複雑な物が分かるようになるでしょう。そうすることによって、
すぐに陸地についても理解できるようになります」(545 頁)
「先生の足は筋肉によってではなく、いつも何らかの理由で腫れ上がっています。船のデッキに長く立っていることから足を使い過ぎたとしても、先生は『神様、ありがとうございます。まだ自分は死んでいません。まだ自分は息をしています。神様、私はもっと行くことが
できます』と言うのです。
ある晩ちょっとした事故があって、バスルームで転びました。お母様は知りませんが、その時先生は気を失ってしまいました。自分が立ち上がって最初に口から出た言葉は『神様、ありがとうございます』でした。そういう伝統を先生は統一教会の中で築いてきました。どうして我々が不平を言うことができるでしょうか。(中略)皆さんがこの伝統を受け継ぐならば、祝福が永遠に訪れるでしょう」(544 頁)
証文出典 2000 年8 月1 日発刊分 「Family」Unification Church Monthly
編集 雑誌海洋真時代
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