佐藤ジョン 2024年1月8日
(注:海洋教会=オーシャンチャーチ)
真のお父様は幾度も海洋教会を設立しようとされましたが、幾度も失敗してきました。大部分の人は、海洋教会は失敗した過去の摂理で「資金の無駄遣いであった」と思っているのではないでしょうか。米国で失敗した海洋教会は、日本や南米ではほぼ知られていないコンセプトです。ボートや釣り修練会などに、真の父母様は膨大な資金を投入されましたが、実際の結果はみすぼらしいものです。
しかし、真のお父様は何度失敗しても、御聖和される時まで釣りやボート製造や他の海洋事業を止められず、私たちが海洋教会と海洋摂理を継続してくれることを期待しておられたようです。
この書類は海洋教会について関心がある方々のために書いており、「なぜ海洋教会を再挑戦するべきなのか」、そして「どのように再挑戦するべきなのか」を論じています。
(下の写真:1980年10月1日、真のお父様が米国ボストン近くのモーニングガーデン公館で海洋教会の設立を決められた。)
海洋教会を再挑戦する必要はあるのか?
海洋教会はもう必要ないのでは?
私たちの目標は、真の父母と同じく、具体的な平和世界の創建です。海洋摂理は飢餓問題を解決するための摂理であり、平和世界の成就に必ず必要な摂理です。
お父様は自叙伝でこう語っておられます:
「海は未来の食糧問題を解決できる鍵です。私が数十年前から絶えず海を開拓してきた理由もここにあります。食糧問題を解決しなければ、理想的な平和世界を建設することはできません」(「平和を愛する世界人として」第7章)
海洋摂理を勝利するためには、その内的中心である海洋教会が必ず必要です。
いままで多くの組織が飢餓問題を解決しようとしましたが、できませんでした。真の父母の思想を中心に私たちが解決するべきです。なんどでも挑戦するべきです。また、どんなに難しくても、成功する可能性が少なくともやる価値があります。その失敗を見て、後世の人たちがまた再挑戦できるように基盤を作るのです。
お父様はこう言われました:
「これを成就させなければなりません。将来のために、誰かがそれを行わなければなりません。皆さんは先生の希望なのです。それが分からなければ、皆さんは自分が一体何者かということさえ分からないことになります。先生に近い者とは、海で成功しようと決意する者のことです」(み旨と海 6章 1983年7月3日 グロースター)
また、米国で海洋摂理を始められて20年経った後、お父様はこう言われました:
「二十年前に始めたオーシャンチャーチ摂理ですが、最後に残ったのは先生一人です。みんな途中で投げ出して、どこかに消えてしまいました。これから二十年間は皆さんの時代です。皆さん、この道を行く覚悟ができていますか?さあ、やりますという人は両手を挙げて神様の前に誓って下さい」(「海洋圏の開発」1994年8月1日 ベルベディア修練所 NY)
海洋摂理は必ず成し遂げなくてはならず、今は、私たちが海洋教会を自主的に世界化していく時代圏なのです。
何を間違ったのでしょうか?
なぜ、海洋教会の摂理は失敗したのでしょうか?「み旨と海」や「真の父母経10篇」などのみ言葉によると、真のお父様が海洋摂理に関して言われていることを、私たちは理解できなかったようです。真の父母経ではこのように言われています:
「お父様は八十の老人ですが、雨が降っても雪が降っても、時間を惜しんで釣りをしようとしているのに、私たちの指導者たちは皆、言い訳を言って逃げ出そうとし、何としてでも私が釣りに行けないようにしようとしています。それは、私がなぜそのようにするのか分からないからです」 (真の父母経 第10篇 第2章 278-319 1996年6月23日)
また、「み旨と海」ではこのように書かれています:
「これまではどんなに明瞭かつ創造的な指示が与えられていたとしても、その指示は十分に消化され受け入れられてはいませんでした。指導者から各メンバーに至る段階において、メッセージの内容が収縮してしまい、メンバーの所に達した時にはもはや意味のないものになっています。 しかし、カープからオーシャン・チャーチそれから州の責任者へと移行する指導者は、先生の指示を理解しそれに応じることができます。彼らは新しい指示を受けたらいつでもそれに応じて行動に移すことができる特別対策班のようなものです」(み旨と海 4章 1982年9月5日)
上のみ言葉によると、海洋教会はお父様の指示を理解するために必要だったということです。過去の間違いを繰り返さないためにも、「海洋教会の在り方」から再度考えて行きたいと思います。
海洋教会の在り方とは?
海洋教会の歴史と真のお父様のみ言葉を分析すると、海洋教会はどのような組織であり、どのような活動をしなければいけないかが分かります。海洋教会の分析は以下の資料などに記録されています。
海洋教会の歴史とみ言葉から「海洋教会の在り方」の要約をすると、以下のようになります。
1)海洋教会の目的は教育ではない
多くの人が海洋教会の目的は教育や訓練であると勘違いしています。海洋訓練は青年教育やありふれた人格教育のためにあるのではありません。
例えば、オーシャンチャレンジなど釣りの訓練を行って、それが終了し記念写真を取ったら海洋教会の目的が達せられたとは言いません。また、釣りは人格教育ともなりますが、それが目的であれば、武道のようにより安く効果的な方法があるでしょう。海洋教会が行う釣り訓練や修練会は、教育が目標ではなく、教育をするその先に明確な目標があります。
また、海洋教会の目標は伝道でもありません。伝道の環境をつくるためや、渉外のためでもありません。海洋教会の目的は、貧富の格差問題解決や飢餓問題解決など、人類が抱える諸問題を具体的に解決することによって、人類社会を実質的な平和世界へと導くことです。
その究極的な目的のために、必要な人材の教育訓練も伝道も行い、協力体制を造るための渉外も行います。既成教会の目的は組織の維持と拡大になりがちですが、海洋教会の目的は教会の拡大ではなく、具体的な平和世界の実現です。
2)海洋教会の形態は礼拝堂ではなく社会貢献をする事業体
海洋教会の目的を達成するためには、事業体がなくてはいけません。
飢餓問題を解決するためには、大規模な食糧生産事業と食糧分配事業がなくてはいけません。また、飢餓から最終的に人々を救うのは自給自足ができるように教育をすることなので、そのような技術を教える学校も設立しなくてはいけません。また、経済的平準化を促すために、趣味観光業も行います。趣味観光業は、お金持ちの国と貧しい国を繋げて、貧しい国への投資を促します。
海洋教会の基本形態は礼拝堂のような建物ではなく、事業体です。ボートは基本的に事業のために使うのですが、同時にお父様は海洋教会の礼拝も教育もボートで行い、家庭教会としても使いなさいと言われました:
「海洋事業を展開すれば、将来の生活の心配はなくなります。オーシャン・チャーチの目的もそこにあります。統一教会はたとえ教会がなくても、海で礼拝することができるのです。」(「統一教会と陸地と海」1991年6月1日)
「この船のユニークな点は絶対に沈まないということです。.…家庭教会としても優れています」(み旨と海 第3章 1982年8月28日 プロビンス・タウン)
海洋教会のメンバーは、基本的には事業に従事します。事業を行い、その収入と外的基盤で社会貢献・教育・渉外・伝道を行います。例えば、ボート製造事業を行っているメンバーは、ボートを使って社会貢献・渉外・教育・伝道を行うのです。養殖を行っているならば、養殖場からの魚を地域の貧民たちに寄付することで社会貢献や渉外を行うことができます。
また、事業を行うことによって、教会メンバーたちが社会の中で仕事をして収入を得て家族を養うことができます。
これは従来の教会の形態とは違います。従来の教会では、摂理に直接関係のない仕事で働いて収入を得て、その大部分を生活費として使用し、小部分を献金し、仕事と関係ない場所と方法で教会活動を行います。このように従来の教会の形態では、個人の専門性、経済生活、教会活動がすべて分離されています。仕事をする人は生涯の大部分を仕事に費やしますが、その仕事(個人の専門性)は、基本的にベクトルが摂理の活動と合っていないのです。
海洋教会では、個人の専門性を追求する場所、家族を養い生活するために収入を得る場所、社会福祉の場所、摂理的活動の場所が同じ場所に統合されているのです。
3)海洋教会は事業体の内的中心
事業体は飢餓問題解決のために常に拡大し、世界の同じ目的を共有する協力団体と連携していきます。巨大な連合体にならなくては、世界の飢餓問題を解決することはできません。
その中で、海洋教会はすべての基盤の内的中心として維持されなくてはいけません。組織とは、貧しい時は純粋ですが、成功していけば必ず公金横領や汚職などが起こります。これはどのような団体にも起こり、私たちも例外ではありません。外的基盤は物質主義に流されないように、海洋教会は真の父母の思想を常に伝え教育していく必要があります。
海洋教会が多くの事業からなる海洋摂理の中心であり、すべての事業体が真の父母の心情・思想・目標と連結を保つ維持装置だと言えます。
4)海洋教会は寄付金ではなく投資と自立経済基盤で運営する
海洋教会は「教会」であるから、寄付金で運営するという勘違いをしてはいけません。
海洋教会は経済的に自立しなくてはいけません。通常の事業のように最初は初期投資などで運営されるべきですが、必ず経済的に自立しなくては、継続できないし、社会貢献もできません。
寄付金で運営するのは極力避け、必ず自立経済を目指さなくてはいけません。それが人材の訓練にもなります。飢餓問題解決のためには、自給自足の教育を行わなくてはいけないので、それを海洋教会のメンバーがまずできるようにしなてはいけません。
5)海洋教会は社会福祉が主体的活動
海洋教会は事業、社会福祉、教育、渉外、伝道を行いますが、その中の主体的活動は伝道や事業ではなく、食糧問題解決を究極の目標とした社会福祉活動です。
事業は社会福祉の外的方法の構築のために行います。教育と伝道は、海洋摂理の事業を起こし拡大できる人材を育成するために、必要なだけ行います。
海洋教会は伝道のため、渉外は伝道のためだ、という固定概念は間違っています。伝道や教育、事業、統一教会すら、方法に過ぎず、目標ではありません。目標はあくまでも、私たちが住む社会と世界に貢献し、平和世界を具体的に造っていくことなのです。最終目標を見失い、お金儲けや、渉外や伝道だけを一心不乱に行うことは、過去の間違いを繰り返すことになります。
私たちは社会を敵視することは間違っています。私たちは、毎日、社会に生かされています。誰かが造った食べ物を食べ、誰かが作った服を着て、生活させてもらっています。人類社会には多くの問題が存在しますが、社会の大部分に私たちは恩恵を受けて生活しているため、その社会に感謝するべきところが多いのです。
海洋教会は、社会に恩返しをし、協力体制を造り、その恩恵を貧しく飢える人にも届けるための運動なのです。
6)海洋教会の渉外は社会福祉を中心に行う
大きな社会福祉活動を行うためには、国と政治を動かさなくてはいけません。しかし、海洋教会の渉外活動は会合の動員などで行いません。
渉外は社会福祉活動を中心に行っていきます。社会福祉活動を中心とし、社会福祉をすでに行ってきた人や団体と協力体制を構築していきます。平和世界を真の目的とする人々や団体ならば、協力体制は基本的に拒みません。具体的な平和も目指す大きな連合体を造るのです。
海洋教会が行う渉外の目的は「伝道のために環境を造ること」ではありません。渉外は、あくまでも、飢餓問題解決など社会福祉のための世界的な協力体制を整えるためです。
7)海洋訓練や釣りの目的の明確化
過去に、釣り大会、オーシャンチャレンジ、釣り条件、麗水などの釣り修練会など多くのイベントがありましたが、なんのためだったのでしょうか?
釣り大会は、世界に釣りを広めるためでした。オーシャンチャレンジは、訓練のためでもありましたが、グロスターではマグロを釣る事業を構築するという目的もありました。パンタナールでの釣り修練会では、国家メシアの各自が160匹の魚を釣らないといけないという精誠条件がありました。しかし、これらの多くの修練会や釣りイベントは、膨大な資金を使い、ほとんどが継続性がなく結果もはっきりと出ずに終わってしまいました。もし、これから海洋教会として釣り修練会を行うとしたら、まず継続性を確保し、教育だけで終わらず、望む結果(目的)を明確にしてから、実行しなくてはいけません。
海洋教会の形態は事業体です。通常の事業体が「ワークショップ」(修練会)を行う理由は、その参加者にある目的と計画を遂行するための方法を伝達したり、あるいは計画を実行するための戦略を練ることにあります。修練会自体が目的ではなく、ある行動を起こし実績を出すために修練会を行います。
修練会の目的は場合によって違ってくるべきです。
もし、釣り観光事業を開始することが目的であれば、釣りをしながら、参加者と共にどのように観光事業を開始するかの計画を練る修練会にすればよいでしょう。
これから海洋教会に再挑戦しようとすれば、釣り修練会をする目的とは、海洋教会のメンバーをリクルートすることが最初の目的になるでしょう。釣り修練会の中で、海洋摂理の目的や計画をまず紹介し、そして参加者が海洋教会のメンバーになることを説得することが目的となるでしょう。
真のお父様も、私たちを説得しようと、釣り大会や修練会など多くのことをしてくださったのです:
「多くのアメリカ人がそのようなシー・フードを好んでいます。先生はそれを知っていましたから、先生が一人であらゆることを開拓し、開発したのです。それから食口達を説得しなければなりませんでした。先生は多くの食口達が過去五年間の内に、オーシャン・チャーチから逃げ出すのを目撃しました。しかし、先生はそれを続けたのです」(み旨と海 11章 1985年8月)
海洋教会の再開と拡大の具体的なステップ
目指す「海洋教会の在り方」がはっきりすれば、それをどのように構築するかを考えなくてはいけません。海洋教会の活動は、事業、教育、社会貢献、伝道、渉外、と多くあるのですが、バランスよく組み立てていく必要があります。以下は、目標に向かってどのように活動を積み上げてくかをまとめています。
1)まず、継続性がある経済基盤の構築
「海洋教会の目的は教育だ」という間違った概念があったら、教育にしか力を投入しないようになり、人材と資金を使い切り、それ以上のことができなくなってしまいます。
教育訓練は常に必要ですが、それ以上に必要なのは継続性のある経済基盤です。真のお父様は世界に海洋教会を拡大しようとボートを送りましたが、運営に成功した場所はほぼありませんでした。大部分が売られるか放置されてしまいました。それは理解がなかったのも理由の一つですが、そのボートを運営できるだけの経済基盤がなかったのが大きな理由です。
釣り修練会などを行って摂理的教育をしたいのはもちろんですが、経済的に継続性がなければすべて無駄に終わってしまうかもしれません。教育、渉外、社会福祉活動は、経済基盤の大きさに合わせて分相応に行わなければ継続性を確保できません。
最初は、献金や初期投資で運営したとしても、必ず自立した経済基盤を目指さなくてはいけません。そうしなけば、海洋教会の訓練の意味がなかったことになります。
ではどのような事業を行えばよいでしょうか。できれば、食糧生産、食糧分配や流通、教育、趣味観光業など海洋摂理に直接かかわる事業が好ましいですが、その他の事業でも、社会のためになることであれば、海洋教会の基盤となると思います。
2)釣り修練会での教育
海洋教会の計画に賛同する仲間を増やしていくためには、釣り修練会などの環境を造ることは大切です。もちろん、経済的基盤がなければ、海釣りやボートは高額な活動で難しいことです。
しかし、海洋摂理は多くの人々のネットワークが必要です。百人でも、千人でも、一万人でも成し遂げることができません。真のお父様は米国に535の海洋教会の設立を命じられました。海洋摂理は何億人もの飢餓人口を救う必要があるから、たくさんの人が必要なのです。
海洋摂理を広め、世界的ネットワークを拡大していくためには、海洋摂理を教える場所として釣り修練会は必要です。
3)社会福祉により渉外と協力体制の構築
社会福祉活動は地域の渉外と協力体制を構築する方法にもなり、さらに大きな社会貢献をする基盤となります。より大きくために生きるための仲間づくりです。世界に大きく貢献するためには、必ず政府や既存NGO組織などの協力が必要になります。
渉外や社会福祉はお金が掛かるので、重要なのは事業の成功に合わせてバランスよく行っていくことです。渉外や社会福祉にあまりに投入すると、事業拡大の妨げになり、さらに大きな社会貢献の機会をミスする可能性があります。覚えておかないといけないのは、私たちの目的は渉外や伝道ではないということです。平和世界を実現するために渉外や伝道が必要なのです。
どのような社会貢献をするべきでしょうか?
それは地域によるでしょう。お父様は米国の港で海洋教会を行うにおいて、港の掃除や、麻薬の取り締まりの手助け、青年たちに仕事を与えることなどを指示されました。小さな社会貢献から始まり、政府と社会の信頼を勝ち取り、のちには国を上げて食糧問題解決のために協力するネットワークを目指しましょう。
4)事業の拡大
世界の食糧問題解決には、莫大な規模の事業が必要です。そのために、お父様は米国で海洋摂理を始められる時にこう語っておられます:
「広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して『二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします』と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう」(み旨と海 14章 1977年6月5日)
事業は必ず多角的に展開しなくてはいけません。そして、お互いに助け合わなくてはいけません。各事業が重要であり、一つの事業だけが成功してもどうしようもないからです。
例えば、食糧の生産に成功したとしても、その食糧を低価格で飢餓の人々に届ける流通事業がなければ、海洋摂理の目的を成就したことにはならないのです。
様々な事業が一つの目的と計画で連合し、大きな世界的基盤となっていかなくてはいけません。
海洋摂理の事業体は、集中型の組織でなくても良いのです。同じ目標で結ばれ連合する、分散型の組織で幅広く協力体制を組む形の方が法的にも経済的にも守られ、持続性があると思われます。また、分散型の方が流動的で排他的ではなく、社会と接点が多くなり、他の宗教団体やNGOなどと付き合いやすくなります。世界の飢餓問題はどう考えても、統一教会だけで解決できる問題ではありません。幅広く事業の協力体制を構築していかなくてはいけません。
5)計画の管理:戦略的投入・投資
海洋摂理の計画を中心に、事業を展開していきます。例えば、食糧生産の事業が軌道に乗っているのに、流通事業がまだ成功できていない場合は、流通事業により多くの投資をするのです。そのような計画の管理も海洋教会が中心となってやって行かなくてはいけません。
海洋教会の礼拝は、内的な話が中心ではなく、計画のことを中心に話すべきです。計画の実行のために必要な内的な話をしますが、より重要なのは行動計画とその報告です。
6)長期的な専門家育成
また、海洋摂理の事業の実行には、現場で働く人も多く必要ですが、必ず専門家も必要です。事業家が必要であり、弁護士も必要であり、科学者も必要であり、建築家やエンジニアも必要です。このような専門家はすぐに育つことはありません。最小限でも、5年間の教育と5年間の経験が必要になるでしょう。
そのために、海洋教会は若い青年たちがそのような専門家になるように社会で学び、社会で経験を積むことを勧めなくてはいけないでしょう。理想的には、私たちの事業や学校が成功し、私たちの学校や事業で専門家を育成できるようにしなくてはいけません。
宗教圏内の中だけではなく、社会の中で認められ指導者となれる専門家たちが、より大きな連合を形成することができ、世界の社会問題を解決できるようになるのです。専門職教育が長期的には必ず最重要な課題となります。
平和世界を造るためには何度でも失敗し挑戦するべき
以上が、海洋教会の再挑戦するにおいて行うべきステップです。
平和世界を造るためには、私たちは本当に役不足です。それが現実です。失敗する可能性は高いです。
覚えておかないといけないのは、失敗するとしても、私たちには海洋教会を諦める理由がないことです。人類歴史は平和世界を求めての失敗の繰り返しでした。私たちも例外ではなく、これからも失敗を続けることになるかもしれません。失敗は諦める理由ではありません。失敗すれば、私たちは後世の人たちから批判されるかもしれませんが、必ず後世の人が私たちの失敗から学んでくれるのではないでしょうか。
これを読まれる方々が、真の父母様が始められた偉大な海洋教会のご計画に賛同し、共に一つの理想を共有し歩んでくださることを切に願います。
(了)
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