2024年10月14日 報告者 佐藤ジョン
私と相対者の仁美子さんは、9月12日早朝にパラグアイ・アスンシオンを出発し、最初にロスアンジェルス、それからコディアック、アンカレッジ、ニュージャージー、ラスベガスを回り、各地の教会長をはじめとする青年指導者や兄弟姉妹の皆様と出会い、様々な情報交換をすることができました。今回の旅の目的には様々なものがありましたが、今回の旅を通して、それはある程度達成することができました。特に、思いがけなくも、重要な米国の指導者の方々に向けて「南北米統一運動」の話をお伝えできたこと、米国で注目を浴びているロス・アンジェルスのカープ伝道活動についての話を聞けたこと、フィッシュパウダー開発の立役者から話を聞けたこと、オキアミ業の歴史やベーリング海峡橋梁トンネルのプロジェクトの状況を知ったことなど、米国の旅は予想外の良い出来事に恵まれました。
しかし、この旅の優先的目的は、「南北米統一運動をどうやって再始動するかを模索する」というものでした。南北米統一に関しては、真のお父様は次のように言われました。
「今や南北米さえ父母様を通して一つになれば、韓半島の南北統一はもちろん、イスラエルとイスラム圏、ヨーロッパまで、統一することは問題ありません。一度にすべて成就するのです」
(真の父母経十篇三章、266-134, 1994/12/22)
「南米は今まで、そのようなアメリカに反対してきました。これが一つにさえなれば、強大な勢力になります。そのようになれば、ヨーロッパも自然にキリスト教文化圏、南北米もキリスト教文化圏、その次に、アジアもキリスト教文化圏になるのです。ですから、お父様は、南北米のキリスト教文化圏を一つにして、アジアまで連結しなければなりません。アジアと南北米さえ一つにすればよいのです。そのようにしなければ、生きる道がありません」
(真の父母経十篇三章、268- 311, 1995/04/03)
つまり、南北米統一運動が(1)キリスト教文化圏の統一、(2)イスラエルとイスラムなどの世界宗教の統一、中東の平和、(3)中国やロシアを含むアジア圏をキリスト教文化圏へ統合、(4)韓半島の統一にまで繋がっているということです。真の父母を中心として、世界が統一するためには、南北米統一から始まらなくてはいけないということを意味しています。
また、南米摂理と第二次40年路程が始まった1995年に、真のお母様も、「この摂理が韓半島統一に関わっている」と言っておられました。
「現在、中南米をはじめ世界各国の無数の若者が私たちの運動に参加しています。特に、プロテスタントとカトリック、南北米間の協力を促進する活動にYFWPは積極的に参加しています。こうした活動が朝鮮半島の祖国統一に建設的な役割を果たすと信じています」(真のお母様のみ言葉集 3 - 1 - 6、1995年8月20日にソウルの奨忠(ジャンチョン)体育館で開催された世界平和青年連合の韓国総会で行われた演説)
とは言っても、北米にも南米にも様々な状況がある中、どのようにこのような大きな流れをつくっていくか、正直、私はまったく力不足であり、どのように具体的にすればよいか分かりませんでした。過去に私も教会の年長者たちに、南米摂理や海洋摂理について話したところ、「それは終わった摂理だ」と言われたことがありました。しかし、今年ジャルジン修練所が再開されるやいなや、7月7日に23年ぶりにジャルジンを訪問された真のお母様は、若者たちに次のように語られました。
「真のお母様は一人で来られたのではありません。天の父母様と真のお父様が共に来られたのです。私が再びブラジルを訪れた理由は、天の父母様が治めることのできる環境圏を広げるために、本来、真の父母が計画した南米の摂理を中心に、これ以上、時間を引き延ばすことのできない立場で困難な中、ジャルジンへ来ました」
(真のお母様 ジャルジンでのみ言葉2024/07/07)
ジャルジンやパンタナールを中心とする「サンパウロ宣言から出発した第二次40年路程」と「南北米統一摂理」が、まだ続いていることが裏付けられたと思います。
南米摂理は世界を救うために絶対に必要なのです。真のお父様は次のように言われました。
「南米が復活し、世界を助けることができる一つの大陸になることを願っているので、世界を助ける希望を神様が捨てない限り、南米は捨てることができません。精誠を捧げる人がいれば、そうだというのです」
(真の父母経十三篇 276-146, 1996/02/18)
最近の教会の若者たちの多くは、南米摂理が何であったのかその殆どを知りませんが、真のお父様は1996年に次のように言われました。
「だから、みんな忘れてしまいます。生涯に記憶することを、みんな忘れてしまいます。日にちも、みんな忘れてしまいます。『サンパウロ宣言』とか、ジャルデンで何を何時やったかも忘れます。きみたちは記憶しておきなさい。(それらは)先生のものではありません。きみたちのためにやったのだから、きみたちは記憶しなければなりません。… 自分たちがやらなければなりません。今そういう過程で、そう言っているのです。いつまで先生がそうするのですか」
(文鮮明先生御言選集 1996年3月6日アルゼンチン・コリエンテス)
結局、私たちが主体的に道を探し出して行かなくてはいけないのです。サンパウロ宣言で言われていたように、特に二世家庭が、真の父母様の語られたことを直接実現する責任があるので、私の今回の最小限の役割は、「南北米統一運動」を北米の食口たち、若者たちに語ることではないか、と思い旅をしました。
なぜ北米に行くことになったか
なぜ今回北米に行くことになったかは、多くの理由が重なっていたのです。
北米の旅のアイディアの発端は、去年、私や妻の恩人であるラスベガス在住の奈田先生とその一行がアスンシオンに来られ、その一人であった中村保さんから、「パンタナールでお父様の釣りキャプテンだったピーターパウロさんを連れて、北米でパンタナール摂理の証ツアーを行ったらどうか」という提案があったことからでした。ピーターパウロさんも日頃からコディアックに行きたいとは言っていたので、それは私も真剣に考えていたことでした。また、その一行に同行していたロスアンゼルス在住のビジネスマンのケン君が、「一緒にロスアンジェルスでボート事業をやろう」と言ってくれていたので、行く約束もしていたのです。
またもう一つの理由は、まったく違うところから来ました。去年の暮れ、金東祐南米大陸会長が私に、「南北米統一運動のために青年たちをコディアックのオーシャンチャレンジに連れて行こう。そして、北米大陸会長のダンクリーさんとも一緒に釣りをして、海洋摂理を通して南北米統一を考えよう」と言い始められたのです。これは次の真のお父様の御言葉と一致していることです。
「アメリカ人は南米に行って訓練し、南米の人はアメリカに行って訓練しなければなりません。二ヵ国語を話せるようにして、これから一つにするのです」
(真の父母経十篇三章、271-287、1995/08/28)
そのため、コディアックのNOCP(オーシャンチャレンジプログラム)の運営者である、ルーカスとタズナという二世夫婦と連絡を取り始めました。しかし、旅費が高い上に、旅費以外に現地での5日間のプログラム参加費(宿泊、ボート釣り2日間、川釣り2日間)が一人1200ドルほどという高額な見積りに金大陸会長は承諾せず、加えてお母様の南米訪問の準備が忙しくなり、この話はうやむやになってしまいました。
私と仁美子さんは二人で7月末まで南北米統一の祈祷条件を120日間続けていたのですが、その後私は行く気をまったく無くしていました。しかし、8月の始め頃から仁美子さんが、「必ずコディアックに行かないといけない、という霊的なプレッシャーを感じる」と言い始めました。それで私は、「大陸会長が行かなくても、ピーターパウロさんと行ってパンタナール摂理の宣伝をしよう」と、再度北米に行くことを決意しました。すぐにピーターパウロさんに話し、コディアック、ラスベガス、ロスアンジェルスの知り合いにそのことを伝え始めました。
しかし、ピーターパウロさんは8月半ばに米国行きのビザの面接で失敗してしまったのです。話では、サンパウロでは一日に三千名のブラジル人が米国行きのビザ申請を行っており、枠に入らなかったそうです。しかし、そのような問題があった後でも、ロスアンジェルス、コディアック、ラスベガスの知人たち、ニュージャージー州の海洋教会の若者たちが、私たちが来ることを楽しみにしてくれていました。結局、その人たちに会うためにも、私たち夫婦二人だけでも行くことに決めました。また、今回北米に行く大きな決め手になったのは、「パラグアイのカープを助けなくてはいけない」という動機でした。
パラグアイカープの状況
真のお母様がジャルジンを訪問される直前の7月始めに、金大陸会長から私に電話がありました。お話の内容は、「私はお母様に南米で千名の若い指導者を育成することを約束しており、そのうちの百名がパラグアイ人であるべきだと考えている。その百名をパンタナール摂理の中心になるようにしたい。そのためにパラグアイのカープを助けてほしい。8月くらいにブラジル本部からパラグアイに宣教師を送りたいが、パラグアイにはカープ活動がないので、カープセンター造りを担当してほしい」との依頼でした。パラグアイのたった一人のカープメンバーであるナリ・アレグレさんと会い、具体的なことを話し始めたのは、お母様を歓迎するため、ジャルジンに集まった7月でした。
実はパラグアイでは長年の土地所有権に対する法的闘争での敗退が続き、パラグアイ教会は分裂するだけではなく、重い精神状態に置かれてきました。その詳細はここでは省きます。法的闘争だけが理由ではないのですが、その中でカープ活動は停滞し、今年カープ会長として就任したナリさん以外にメンバーはいないという状態になっていました。お父様が南米で最大の土地を購入したのはパラグアイであり、摂理的南米4ヵ国(ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチン)の中の一つの国であり、1999年に全ての日本人国家メシアたちをレダに投入したのもパラグアイです。そのパラグアイで伝道や青年教育の中心であるべきカープがこのような状態では、レダやパラグアイの海洋摂理は土台を無くし、将来が暗いと言えます。恥ずかしいことですが、そのような長期的な視点で危機的状況を理解したのは、金大陸会長に「カープを助けてほしい」と言われた後でした。
8月になると、本来はブラジルの南米本部から宣教師が来るはずだったのですが、「カープセンターがないから送れない」と、南米本部にキャンセルされてしまいました。金大陸会長にカープセンターの用意を頼まれていた私は責任を感じて、8月にパラグアイ教会の青年指導者たちと幾度か会議を行い、(1)壊れて住めなくなっている古いカープセンターを改築するか、(2)カープセンターを借りるか、という二択のオプションについて議論を行い始めました。
まず、古いカープセンターは四階建てで大きい建物なのですが、地盤沈下などを起こしており、住むには危険かもしれないと言われていました。しかし、修理できれば寝室が十部屋くらいあるので、事務所として貸したり、一階はレストランとして運営することができ、国内外から訪問者があれば多くの人が泊まることもできる場所です。しかし、必ず多くの資金と時間がかかるだろうということから、最初はカープセンターを借りる方向性でいくことにし、9月の始めにはパラグアイ教会長のエバリスト牧師とナリさんと一緒に、カープセンターとして借ることのできる物件を探しに行きました。
またカープセンターを継続的に借り続けるためには、持続的な経済基盤がないといけないので、カープセンターを借りると同時に事業を始めること、あるいは何らかの万物復帰の方法がないといけない、と考えました。更に考えると、「南北米統一」のためにはアベルの北米(プロテスタント圏)がカインである南米(カトリック圏)のために尽くすという視点で、何ができるだろうかと考えました。その原点に戻ると、(1)北米にある教会関係の事業関連の方々に、南米の若者たちの起業を手伝ってもらったり、(2)北米のYSPと南米のYSPを、事業を媒介体として繋げていき、南北米の関係を生かした事業を創っていくことはできないだろうか、と考えました。例えば、米国の平均給料はパラグアイの平均給料の10倍にもなるので、北米の二世たちを連携させ、南米で生産したものを北米で売る、という形態の事業はできないだろうか、と考えました。
このような大きな課題が出てきた同時期、実はもう一つ参考になる出来事がありました。
中田実先生ご夫妻の伝道村プロジェクト
北米に旅立つ数日前の8月27、28日に、パラグアイのサン・アルベルトという町の近くで、ガラニー族の原住民村の伝道を行っている中田実先生ご夫妻に招待を受け、私たち夫婦で訪問してきました。サン・アルベルトは裕福なブラジル農家たちが造った町で、見渡す限りの広大な農場地帯の中心部にあります。アスンシオンからは400キロほど離れた場所でした。中田先生によれば、その地域に、国も把握しきれていないといわれる何百という原住民の部落が存在するという話でした。
パラグアイの原住民たちは、米国のように国に土地を保証してもらっていますが、大部分はパラグアイで一番貧しい生活をしています。原住民たちは部落の中で生活し、都市や町の西洋文化に馴染むことがなく、土地を裕福な農家に貸して、特に自分たちで産業を起こさないまま、世界の技術発展から取り残されているような生活を送っています。また、心理的に彼らは自信がなく、都市に出て物乞いなどをする原住民たちが多いのです。
中田先生は私たちをキリット村という一つの部落に連れて行ってくださいました。サン・アルベルトの町から数十分土道を走った場所でした。そこでは、国が小さな学校を建設しており、近隣の部落から子供たちが集まってきて授業を受けていました。中田先生はその村で、レダで建物を造ってきた経験と知識を原住民たちに教えながら、(私たちの訪問時は)大きな講堂の建設を指導しておられました。その講堂を建設している作業員の一人が、グラインダーという工具の埃をブラシで払い落し、大事に扱っている所を目撃しました。私が運営してきたボート工場でこのように道具を大切に扱っている人は見たことがないので、反省しながら、「ああ、誰か定着して教える人がいれば、彼らは何でもできるんだな」と実感しました。
その部落を訪問した後で、中田先生はご自身が北海道出身であり、戦後の北海道開拓が進む環境の中で育ったことを語ってくれました。中田先生は、「北海道開拓の父」としてその名を知られるクラーク博士の話をよくしてくださいますが、博士の精神は、真のお父様の海洋摂理の御言葉に通じています。
「統一教会員たちは、発展途上国に対して、先導者としての責任を果たさなければなりません。そこに行って幼稚園の先生、小学校の先生、中学・高等学校の先生、大学の教授にならなければなりません。そうして、文化水準を上げながら、飢え死にする人を助けてあげなければならないのです」
(真の父母経十篇二章、444-191、2004/04/04)
<上:キリット村で中田実先生が建設を指導している講堂>
中田先生は、御言葉通りのことを実践されてきたのだと感じました。今の時代に、このような事ができる祝福の子女たちがいるのか、あるいはどのようにこのような事ができる祝福子女たちを育てる環境を造るのか、考えなくてはいけません。それさえ出来れば、南北米統一運動ができるような気がします。真のお父様は次のようにいわれました。
「北米がアベルの立場に立って、カインの立場にいる南米を救わなければなりません。そのためには、すべてを投入しなければなりません。アメリカの人々がお父様の精神を受け継ぎ、自分の生命と財産を南米のために投入すれば、南米を救うことは問題ありません。高気圧があれば、自然に低気圧に向かっていって埋めてあげるのと同じように、高い段階にいるアメリカが南米を救わなければなりません」
(真の父母経十篇三章、269-153、1995/04/17)
北米では南米などからの移民問題が大きな政治的話題となっていますが、私たち統一食口たちはまったく違うことに手を付けなくてはいけません。北米をどのように導けば、北米が貧しい弟の南米を助けることができるようになるのか。それは統一食口、特に二世たちが矛先となって南米を助ける運動をつくっていくしかない、と思います。
80歳近くになる中田先生ご夫婦は、月に300ドルほどの家賃でサン・アルベルト近郊のアパートを借りておられました。その中は木材工房のようで、様々な形に彫られた木細工に色染めをされたりしながら、プロダクト開発をしておられました。「ここで安く木細工を作って、それを米国で売れば高く売れる。付加価値を持たせた製品を造りたい」「原住民たちが小さな小物の木細工を造れるように教え導き、それをどうにか海外で販売して継続性のある経済基盤を造りたい」と、必死なご様子で語られました。
<上:中田夫人と原住民の女の子、キリット村の小学校で>
<上:中田実先生がキリット村で木細工の指導をしている様子>
「私たちには地上であと数年間しか残されていないけど、最後に彼らに経済基盤を残してあげたいんだ」と、中田先生は熱意をもって語られました。私はそれを聞いて、「この世の人々の幸せのために、私の人生を全て使いたいんだよ!」という本然の人間の心の叫びを感じました。
統一教会は様々な個人で構成されています。人々の意見や理解は様々であり、それを強制的にも、理論的にも統一することは至難の業です。それがどれだけ困難であるかは、これまでの宗教・思想を動機とした人類闘争歴史が物語っています。結局、私たちを本当に統一できるのは、信仰観や理論よりも、まずは、私たちの「人のために生きたい、幸せにしたい」という人間として備わっている本然の欲求が、真の父母様の「世界人類を救いたい」という本然の親の願いと言動に共感することによってなんだ、と感じます。
中田先生に、「お二人がやってきたことを引継ぎ、定着する若者を見つけないといけませんね」と言うと、「必ず来る、神様が送ってくださるよ!」と言われました。真の父母様と一世たちがやってきたこと、これを引継ぎ継続しなくては、全てが無駄になってしまいます。中田先生やレダ開発などに人生をかけて人のために生きようとして来られた先輩方のご苦労と犠牲が、報われるようにしなくてはいけません。
1999年5月14日のナビレケでの「天宙解放式」、7月27日の「源焦聖地、根源聖地、勝利聖地の宣布」後の8月1日に、パンタナール摂理の実体摂理としてレダ・プロジェクトが始まり、日本人の代表として国家メシアたちが全て投入されました。日本人は南米摂理に強く関わっているのです。真のお父様はこう語られています。
「これは世界的修練です。今まで、自分の国しか知らなかったのです。日本人は日本の国しか知らなかったのですが、世界的な母の責任を果たそうとすれば、世界を知らなければなりません。そのためには、南北米が連結された南米に来て、教育を受けなければなりません」
(真の父母経十篇三章、294-195, 1998/06/14)
日本人たちが世界の母として責任を果たすことができるように教育するためにも、南北米の統一が重要だったようです。
旅の計画と準備
南北米統一運動を再開させる方法は何なのか、コディアックでのオーシャンチャレンジに南米の若者たちを連れていくこと、パラグアイの若者たちを元気づけ、カープを立て直すこと、中田先生の製品開発を助けることなど、私の頭には多くのやるべきことがありました。
そのためにも、「まずは北米に行き、そのような摂理観に賛同してくれそうな北米の事業者や若者たちに会わなくてはいけない」と感じました。私の戦略としては、まずは北米の指導者や若者たちに「南北米統一運動」について話し、南米に目を向けていただくことでした。しかし、私の基本ポリシーは、「話を聞きたいと言われたり、招待を受けなければ摂理について話さない」というものでした。なぜかと言うと、各自が現地の仕事に多忙な中で、いきなり南米摂理の話を聞いても行動には結びつかないと思うからです。しかし、できるだけ各地の青年やカープ責任者に会いたいと思っていました。
各所の方々に迷惑をかけると知りながら、旅の日程はコスト重視で立てました。私と仁美子さん二人で旅をするのに、一番コストが低い日程を選びました。チェックインしない手荷物だけの安いフライトを探しました。そうすると、一人のコストが1640ドルで5か所を訪問できる計画で、思いのほか安く計画を立てることが出来ました。各所で何をするか詳細な計画はあまり立てずに、人に会い情報を集めることを優先し、「南北米統一運動をどうやって再開するか」を模索し、具体的方法を考える旅とすることにしました。
ロス・アンジェルスのカープ活動
アスンシオンを9月12日の早朝に出発し、夕方にはロス・アンジェルスに到着しました。その日は仁美子さんの恩人である本間先生ご夫妻に迎えていただき、パサディナの公館で宿泊しました。
<上:ロスアンジェルスのパサディナ公館>
ロス・アンジェルスはニューヨークやボストンと同様、北米の海洋摂理の基盤の一つです。多くの食口たちが魚販売やレストラン事業などに関わってきました。教会の経済基盤を支えているのも、Ocean Providence LLCなどの基盤だそうです。現教会長の相対者でありカープ会長でもあるタカヨさんも、Ocean Providence LLCに務めているそうです。このような点で見ると、私が南米で関わっている海洋摂理に通じます。実はお父様は、「ロス・アンジェルスは南米摂理に属している」と語っておられます。
「アメリカ西海岸にはいくつかの都市があります。アラスカを中心として、シアトルとサンフランシスコは北アメリカの摂理に属し、ロスアンゼルスとサンディェゴは、南アメリカの摂理に属しています。そのことを考えてみなさい。我々は多くの種類の基盤を持っています。そして、南アメリカにも基盤をつくらなければなりません。それらの国にもまた将来があります。我々は、世界的な漁業のための基盤づくりを手助けしなければなりません」
(「み旨と海」第十一章、1985年8月 バークレイ)
9月13日の朝は、有名なノエル・ジョーンズ牧師を伝道された平木直子さんと、去年パラグアイで知り合ったショートかずえさんと会いました。ショートかずえさんはロス・アンジェルス教会で一番初めに伝道された壮婦であり、南米摂理の理解者です。ロス・アンジェルスは、現在、カープ伝道が米国で一番盛んであり、ショートかずえさんによると、その基盤をつくったのが平木直子さんだそうです。
私はパラグアイカープを助けるように南米大陸会長に言われていますが、伝道はまったく自信のない人間です。実は私は、18~19歳の時(1998年~1999年)にはロス・アンジェルスのカープの献身メンバーで、ハリウッド通りで路傍伝道もしたのですが、結果を出すことができませんでした。パラグアイカープ会長のナリさんも、私が活動しやすいようにパラグアイカープの一人の理事にしてくださったのですが、正直、どのように助けていけば良いかは手探り状態です。
良い参考になると思い、ロス・アンジェルスでどのようにカープをつくり上げたのか、その内容を平木さんに語っていただきました。証を通してまず私が感じたのは、「平木さんはカープの摂理的意義を強烈に認識している」という事でした。平木さんは、「大学運動であるカープ基盤がしっかりしていなければ、アベル的教授を立たせることができない。言いたいことを言えない。大学のキャンパスにアベル的な大学生の基盤があるからこそ、アベル的教授たちが立つことができる。そして、政治家は教授たちの言うことを無視できない。だから、カープは国を動かす基盤なんだ」と語りました。平木さんがどれだけ強くカープの摂理的意義を感じていたかと言うと、現在ロス・アンジェルスのカープの会長であるタカヨさんを身ごもる前から、「生まれる子供はカープ会長にする」と決めておられたそうです。(タカヨさんはロス・アンジェルスの教会長ジョシュア・ホームズさんの相対者です。)
具体的にどのように基盤を築いていったかというと、まず、ロス・アンジェルスの個団の日本婦人たちが、大学のキャンパスに行って伝道を行ったようです。日本婦人たちは英語がうまくなかったため、講義よりも一対一で原理を読むことから始めたようです。講義はあまりしないので、カープセンターという場所は持たず、カフェテリアなど公的な場所で伝道を行ったそうです。平木さんによると、「二世たちは教会で育ったために、原理の素晴らしさの実感がない。伝道によって復興される一世たちを間近かに見ることによって二世たちは原理の素晴らしさを知り、積極的になった」そうです。このようにして、地道で丁寧な伝道活動は二世を復興させることに繋がり、カープは成長し、40名ほどになると、ぐんぐん影響力が強くなっていったそうです。現在は、ロス・アンジェルスのカープは200名ほどの新規メンバーがいるほど成長したそうです。
その成長過程を纏めると次のようになります。
個団の日本人姉妹たちが大学に行き、二人が一人の教育を担当し、主に一対一の方法で伝道を行った
一世が伝道され復興されるのを見ると、二世たちが感動し、伝道に協力するようになった
若者たちの数が整い基盤ができると、教授伝道に繋がった
誠実な若者たちがいると、既成教会の牧師たちに証となり、牧師伝道にも繋がった
南北米統一の観点からは、「南米の若者たちを北米の若者たちに繋げたい」という思いがあり、ロス・アンジェルスのカープ活動を参考にすることは重要に感じました。また、米国の海洋摂理の観点では、カープと海洋教会は、教会指導者の育成のための基本コースであるべきでした。
「ベリー・タウンの神学校を通過して来る我々の運動の中核メンバー達の基本ルートというものを先生は計画しました。神学校卒業後、彼らはまずカープに行き、キャンパスで訓練を受けるべきです。それから自動的にオーシャン・チャーチに来ます。それが我々の運動の指導者を教育するための計画なのです。統一神学校からカープ、それからオーシャン・チャーチへ。そういう豊かな訓練を受けた後、神学校の卒業生達は州の指導者となります。各州がそういう指導者を持たなければなりません」
(「み旨と海」、第四章、1982年9月5日 イースト・ガーデン)
どうやって、米国の将来の若い指導者の育成のための「基本ルート」を、お父様がデザインし願われたブループリントの形に戻せるでしょうか。残念ながら、教会内では海洋摂理が重要視されなくなり、海洋教会も細々とした活動となっています。本来ならば、カープと海洋教会は、将来の指導者を育成するためにも、米国教会の教育システムの中で強く確立され、連動していくべきなのです。それによって、現在米国に残されている摂理的企業であるOcean Providence LLCやOcean Peace Inc.(シアトルにある漁船会社)なども、水産事業の摂理意義を理解する二世により受け継がれていくようになると思います。
北米の海洋摂理基盤
13日の夕方は、ロス・アンジェルスで水産事業を担当しておられる菊地誠さんのご家庭で夕食をご馳走になり、夜遅くまで北米の状況や南米摂理について話し合いました。菊地さんご家族と私たちは以前からの付き合いで、ご夫婦と子供たちが本当に仲が良く、私が尊敬する模範家庭です。菊地さんは、元は北米の魚販売の大手で摂理的企業であるTrue World Foodsで働いておられましたが、組織分裂後に離れ、後にOcean Providence LLCで働くようになった方です。
真のお父様が魚販売、レストラン、漁業、ボート製造などの企業を、北米で1974年から20年間かけて育てられたのは、後に南米を始めとして海洋摂理を世界化し、世界の飢餓問題を収拾するためでした。南米摂理が始まった直後の1996年、お父様は次のように語られています。
「今まで、先生の生涯における第一次の四十年の生活は、北半球にある先進国家を中心とした、すなわち陸地を中心とした受難時代でした。それで、二十年前から南米における海洋文明圏を準備してきたのです。熱帯地方圏内にあるすべての国を救うために海洋時代を築いてきたのです。そこで受難の道を経てきたのが先生の二十年路程です」
(「環太平洋摂理」第一章、277-131, 1996.4.7)
このように、20年もかけて計画され構築された「世界のために生きるインフラ」である北米の海洋摂理基盤は、残念ながら組織分裂によって劣化してしまいました。組織分裂の痛みだけではなく、摂理的目標への意識も薄れてしまったのです。お父様はこのように言われました。
「中心には宗教があるのですが、我々の目標は地上天国を建設することです。健全な肉体は外的な実践を通して達成され、健全な精神は内的な実践を通して達成されます」
(「み旨と海」第三章、1982年8月28日 プロビンス・タウン)
お父様が主導された海洋関連ビジネスは教会のための資金づくりが目的、と間違って理解されやすいのですが、私たちの目標は、宗教を維持拡大することが最終目的ではなく、あくまでも実質的地上天国をつくることが最終目標です。そのために、海洋摂理という「外的な実践」が必要不可欠なのです。
北米海洋摂理基盤の大きな問題点としては、(1)組織分裂による劣化、(2)海洋摂理など長期目標に対する意識の喪失、(3)受け継ぐ二世が少ない、という危機的状況が挙げられます。しかしながら私たちは、たとえこのような状況下にあったとしても反転攻勢を挑み、南北米統一を通して、私たちが目標とする実質的な地上天国を建設するために、必ずこの北米の海洋摂理基盤をつくり直し、拡大し、南米と連結しなくてはいけません。
9月14日はラス・ベガスで役事があるということで、ロス・アンジェルスの教会関係の指導者の方々は、皆そちらに動員されていたようです。その日、私たちはロス・アンジェルスで色々なビジネスを行っているケン君と会って、彼の工場を訪問したりしました。今は火星探索機に搭載される部品を手がけているようです。ショートかずえさんが伝道している、将来が明るい素晴らしい若者です。パラグアイと連結して海洋摂理の発展に協力していただけたらと思っています。
ロス・アンジェルスの韓国人教会での礼拝
9月15日の朝は、韓国人教会に行きました。小さい教会ですが、30~50代の二世カップルたちが5~6組くらい居られたので驚きました。この教会は仁美子さんが以前長くお世話になったところです。この日、仁美子さんが礼拝で講話することになっていました。
そのいきさつは、次のような流れです。韓国人教会では、日曜礼拝だけではなく、水曜日の夜にオンライン礼拝を行っています。そこで以前より、「南米摂理と海洋摂理」という内容で、仁美子さんが数回講話を行っていました。最近、ロス・アンジェルスの韓国人教会は、「マズンダ修練所」という昔の修練所を復興するための活動をしており、今年ジャルジン修練所が再開したということを聞いて、その報告を仁美子さんに行ってほしいということで、日曜礼拝を担当することになったのです。
その礼拝の内容は、「パンタナールを永遠の聖地にするには、強烈な意義と機能を持たせ、主人意識を持つ家庭を定着させなくてはならない、そのサポート体制をもつくらないとならない」という内容でした。礼拝では私たちに対して色々な質問がありました。パラグアイのカープの状況も話すことができ、会食後に、チョン牧師は、パラグアイのために献金を参加者から集めてくださいました。韓国人の方々は情的で、私たちの話をよく聞いてくださり、本当に感謝でした。
<上:ロス・アンジェルスのKEA韓国人教会で礼拝を行う仁美子さん>
北米カープの歴史
9月15日の夕方には急遽、平木直子さんがロス・アンジェルス教会の指導者や個団、カープ関連の方々を招集してくださり、私が南米摂理の報告と講義を教会で行うことになりました。
教会までは、既成教会伝道の責任者の天願まさるさんが車で送ってくださいました。私はロス・アンジェルスのカープにいた頃、天願さんがキャプテンを務める伝道チームに所属していたことがありました。車をドライブしながら、天願さんはカープの歴史について少し話してくださいました。米国では孝進様、珍憲様、亨進様など、指導者が代わる度に形態が代わり、近年では後田さんが会長になった時も、スタイルや教会内での役割が変わったことを聞きました。
確かに組織とは時代や指導者によって変わるものですが、目標や役割などは簡単に変わるべきではないと私は思います。なぜなら、平木直子さんが北米の政治家や教授伝道と関連してカープの摂理的意義と役割を理解されていたように、摂理の中で真の父母様が創られた様々な組織は、明確な意義を持ってつくられたからです。
お父様は天国建設のことを次のように言われました。
「我々のメンバーは、最も素晴らしい船を、最も安い費用で造っています。彼らがそうすることができる唯一の方法は、犠牲的に自らを捧げることによってです。このような過程を通して最も美しい船が造られており、他の誰もそれと競争できるような船を持っていません。同じような精神で我々は世界を創り、国を創るのです」
(「み旨と海」第十四章、1981年2月1日)
ボート製造を天国建設になぞらえると、ボートが多くの部品から構成されていて、それを組み立てると同じように、天国も多くの部品によって建設される、と言うことができます。各部品は役割を持っていて、どんなに立派なエンジンがボートに装備されていても、プロペラという一つの重要部品がなくては、ボートという全体目標を全うすることができません。同じように、どんなに優れたキャプテンがいたとしても、ボートの操縦席にステアリングホイール(ハンドル)という部品がなければ、行くべき方角にボートを操縦することは不可能なのです。
海洋摂理関連の企業も、YSPやカープも、女性連合も、ジャルジンやレダも、パラグアイのボート工場も、全て神様の摂理の中で特別な役割があり、天一国建設のための重要な部品です。したがって私たちは、そのオリジナル・デザイン、あるいは全体的ブループリントを理解しなければいけないと思います。それを理解してはじめて、各組織のあるべき姿が理解できるからです。
また、エンジンの力が軸を通じてプロペラに伝わることにより、ボートが推進力を得ることができるように、どのようにして各組織が連携し、固有目的と全体目的を同時に達成していくことができるのか、という点について正しく理解しなくてはいけません。カープも海洋教会と連携して青年教育をし、未来の指導者を創出して行くことが、真の御父母様のブループリントでした。各組織において、変えるべきではない目標や役割は死守し、ブループリントに従い、各組織の形態を調整し連携させなくては、いつまで経っても最終的ゴールである具体的な世界平和に到達しないと思います。時代や方法は変わっても、世界平和のゴールは変わりません。
北米のカープと海洋摂理基盤が、どのように連携していくべきなのか。このロス・アンジェルスで、真の御父母様のブループリントに沿った理想のモデルを創っていけるでしょうか。
ロス・アンジェルス教会の指導者たち
9月15日の夕方、ロス・アンジェルス教会の一室で、ジョシュア・ホームズ教会長を始めとする指導者たちが集まってくださり、午後6時半から1時間半ほどの講義をさせていただきました。その日、教会長さんたちは、早朝にラスベガスの役事から帰ってきて日曜礼拝を捧げ、その後には食口の聖和式もあったので、疲れて果てておられたはずです。それにも拘らず、南米の事に関心を持って集まってくださり、本当に感謝でした。
内容は、「米国の若者たちと世界統一運動」という題名で、北米の若者たちが世界に対してどのような責任を持っているのか、を焦点に、第二次四十年路程と南北米統一摂理(キリスト教文化圏の統一)・南米摂理・海洋摂理・環太平洋摂理の内容、さらに、いかにして海洋摂理によって、共産主義・資本主義社会を乗り越え、具体的に共生共栄共義主義の世界を生み出すことができるのか、という内容を伝えました。
特に若い教会指導者に伝えたかった事は、若者たちがカープを卒業した後、彼らをどのように導くべきか、という内容についてです。若者たちは大学時代にカープ活動を行いますが、その後は家庭生活があるので何らかの経済活動をするべきです。しかし、その際、生活や献金だけのために職業を選ぶのではなく、その経済活動は、実質的な天国建設の活動に直結するべきであり、若者たちは出来るかぎり海洋摂理関連事業など、真の御父母様が北米で用意された天国建設のための具体的な方法に導かれるべきだ、と話しました。
ジョシュア教会長とタカヨさんは素晴らしいご夫婦でした。私が講義を終えた後、ジョシュアさんは、「あなたの言うことは理にかなっている。実は今のカープの中心メンバーの半分はしっかりとした職業を持てずに、アルバイトなどをしている。これは私の責任だが、これからは長期目標も考えたい」と言ってくださいました。
また、「米国教会自体は経済的に難しい状況だが、ロス・アンジェルス教会は経済的独立が何とか出来ている。ここには水産事業があるが、どうにかして拡大しないといけない」とも話し合いました。ジョシュアさんは、本当に紳士的であり、謙虚な教会長でした。
ロス・アンジェルスには、海洋産業の基盤があり、二世を中心とするカープ活動も盛んであり、二世たちを海洋摂理に導くことのできる環境があると思います。私が知るロス・アンジェルスの二世たちの多くが、「この世のために何かしたい」と考えていて、医療系の職業に進む人が多いのです。水産系の職業などに対しては、難しい印象を受ける傾向があり、まして食糧の豊かな米国にいる限り、世のためになりたいという願望と直接連結しがたい職業のように受け取られがちです。しかしどうにかして、純粋な、世界視野に立つことのできる二世たちを海洋摂理に導くことのできる仕組みを、このロス・アンジェルスにつくることができたら、本当に北米の一角に希望ができるな、と感じました。
ロス・アンジェルス教会では、二世教会長のジョシュアさん、水産事業担当の菊地さん、既成教会伝道を担当する天願さん、個団をまとめる平木直子さん、カープ会長であり水産事業にも関わる二世のタカヨさんが主導的に活躍しています。二世の責任であり、キリスト教文化圏統一の摂理である南北米統一運動のために用意されたような教会だな、と私は勝手に思いました。
コディアックの聖地に到着
次の日、9月16日の朝9時半頃の飛行機でコディアックに向かいました。コディアックは、人口五千名の島で、アメリカを代表するニューヨークやロス・アンジェルスなど通常の都市のイメージとは全く違う、小さな場所です。このような場所で、真の父母様は毎年夏にはご家族で過ごされ、多くの食口たちを海で訓練されました。
真の父母様は、1978年頃からコディアック島で、魚加工工場、魚加工販売の基盤造りを始められ、1983年からはGood Goボートでの釣りを始められました。それまでコディアックでのスポーツフィッシングは皆無だったのですが、自らコディアックの海に出られ、釣りによる趣味産業の開拓を行われたのです。真の御父母様は、1980年代には魚加工業などの基盤を造成され、1989年に天宙長子権復帰完成を宣言された「八定式」を奉献され、そこからアラスカ43家庭を中心に海洋摂理の世界化を始められました。世界のアベル国家として、そしてこの再臨主時代におけるローマ帝国として神様が用意された米国で、真の父母様は、長子権復帰を宣言され、世界のために尽くす方法である海洋摂理を始められ、それを世界化しようとされたのです。その路程は理論的です。私は個人的にですが、パンタナールは南米の中心的聖地であり、コディアックは北米の中心的聖地だと思っています。
私たちはコディアック訪問後はニュージャージー州に向かうので、コディアックへは片道切符で旅をしました。その切符の値段は349ドルで、ロス・アンジェルスからコディアックは近いんだな、と思いました。まずはアラスカ州の首都アンカレッジに降り、それから目指すコディアック島へ向かいました。アンカレッジから飛び立った飛行機は170人ほど乗れるボーイング737の旅客機で、満席でした。一日に数本のフライトがあるそうで、米国の僻地にある島だと聞いていましたが、たくさんの人が行き来する場所であることが分かりました。その理由は、狩りや釣りなどの趣味産業があるからです。
コディアックに比べると、パンタナールのナビレケ聖地の近くにあるフエルテ・オリンポは人口三千名の町で、一週間に一度の頻度で20人乗りの古い軍用機で行くことができます。フエルテ・オリンポの空港の滑走路は土です。将来はコディアックのように観光業で発展し、フエルテ・オリンポに大きな飛行機が到着できるようになると良いな、と思いました。
真の父母様が毎夏訪問されたコディアックが重要な拠点である理由はいくつもあります。その中でも重要な理由は漁業と魚加工の盛んな場所であることです。先述のように、真のお父様はISA(International Seafoods of Alaska)という魚加工工場をコディアック島に建設され、そこで魚の加工とフィッシュパウダーの開発を行われました。加工工場には、一時は100名以上の食口が働いていたそうで、それがコディアック教会の人的基盤であり経済基盤となっていたようです。しかし、組織分裂の中で会社は奪われてしまい、その後、その工場は閉鎖され、売られてしまったようです。その後は食口たちが力を合わせ、そしてシアトルのOcean Peace Inc.などの摂理的企業からの寄付などで教会を維持してきたようです。
コディアックの空港には、教会長のバス牧師が車で迎えてくれました。バス牧師と相対者のタニアさんはロシア出身です。タニアさんは西のセイント・ピーターズバーグ出身で、バスさんは東のシベリア地域の出身だそうです。アラスカからロシアまで繋ぐ「ベーリング海峡の橋」や世界をつなぐ「世界平和高速道路」構想も、このアラスカに強く縁があります。ロシア人が教会長をしているのは摂理的と言えるのではないかと思いました。
アラスカは元ロシア領だったので、ロシアのオーソドックス教会もあり、また、それ以前はインディアンたちの土地であったので、原住民の大きなコミュニティーセンターらしきものもありました。バス牧師によると、コディアックの原住民たちは金持ちで、様々な社会保障システムがあるそうです。パラグアイの原住民たちは皆貧民であり、米国の方法を学ぶべきだな、と思いました。
コディアックは、本当に美しい場所です。パンタナールはほぼ平らな景色で、汗が出る暑い場所ですが、対照的にコディアックは、エメラルド色の山々と青々とした海に囲まれていて、肌に感じる寒さでさえ自然の美しさを感じる場所です。
これまで、コディアックに来たことは無かったのですが、私には縁の深い場所です。ここは海洋摂理の重要な場所であり、私の父が米国の海洋教会の責任者だったとき、一時期はコディアックの責任者でもあったようです。また、私の姉の主体者の朱さんはコディアック教会長を4年間任されていたので、姉夫婦は御父母様の近くで侍り、二人の姪たちはこの島で生まれました。なのでコディアック島の食口たちの殆どは、私の家族のことを知っている方たちでした。
バス牧師に運転してもらい、到着したのは真の御父母様の公館であるノースガーデンでした。ここは聖地巡礼という目的でのみ、一泊50ドルという献金で宿泊できるようになっています。ノースガーデンはきれいに保存されていました。ボストンの近くのモーニングガーデン、ウルグアイの御父母様の公館も近年、売られてしまいましたが、コディアックという僻地にあるノースガーデンがこのように保存されているのも、現地の食口たちの見えない多くのご苦労によってだと感じました。バス牧師に聞くと、以前あった魚加工事業や食堂からの献金は今はないので、教会の経済状況は良好ではなく、新しい事業の立ち上げを考えているとのことでした。
ノースガーデンに到着すると、影山さんと相対者のもとこさんが迎えてくれました。影山さん夫婦とは、ニュージャージー州の海洋教会にいた時分、同じ家に同居したことがありました。会うのも10年ぶりくらいだったと思います。もとこさんが夕食を用意してくださり、パラグアイではほぼありえない、海の魚の食べ放題となりました。
コディアックに来てやりたかった事は、(1)真の御父母様が投入された場所の見学と状況の把握、(2)現地食口と会い、証や話を聞き、真の御父母様の計画や歴史を理解すること、そして(3)オーシャンチャレンジの責任者と会って、来年南米から若者たちを連れてくるための相談をすること、でした。
9月後半は、もう釣りの全盛シーズンから外れており、滞在は三泊四日だったので、私は、「優先は摂理の調査であり、わざわざ釣りに行くつもりはありません」と言っていたのですが、影山さんと現地の食口たちが、私たちがボートで釣りができるように用意してくださっていました。
9月17日は影山さんが運転するグッドゴーで、バス牧師、私と仁美子さんの四名で海釣りに出かけました。影山さんもめったに行かないという、コディアックの港から北西側に島を回ってウェールパスというスポットに向かいました。釣りを開始する前に、クジラやポルパス(いしいるか)の群れに遭遇しました。そびえ立つ島のエメラルド色の山々は美しいものでした。釣り自体はコッドが良く釣れましたが、サーモンの姿はなく、ハリバットもごく小さいもの以外はかかりませんでした。
9月18日は、影山さんが真の父母様が陸釣りをされたというスポットに車で連れていってくださいました。朝の9時ごろから午後5時くらいまで、島をくまなく走りました。影山さんは、オーシャンチャレンジをコディアックで2009年ほどから始めた方ですが、今はルーカスとタズナという二世カップルがオーシャンチャレンジを相続して運営しており、影山さんはキャプテンとして貢献しておられるようです。この日、影山さんは私たちを案内して周り、「このビーチは御父母様がよくバーべーキューされた場所だ、ここでお母様は陸釣りをしておられた、この山に良く来られて、ここを買いなさいと指示された」など、貴重な歴史を話してくださいました。私も子供の時から影山さんを知っていますが、彼のような真の御父母様の歴史を間近かに見てこられた一世たちがだんだん白髪になっていくなかで、コディアックという聖地が、これから100年、200年どのように残されていくのか、考えさせられました。
<上:ノースガーデンの敷地内にあるボートを整備修理するための倉庫>
<上:真の御父母様が度々バーベキューをされたビーチ>
<上:コディアックの漁港>
<上:産卵後のサーモンの死骸が多くある川>
コディアックの証会
9月18日の夜7時から、十数名の現地の食口たちがノースガーデンに集まってくださり、バス牧師が「証会」を行ってくださいました。とは言っても夜遅くなるので、主には遊漁船で成功して基盤を築いてきたクリス・フィアラさん、アラスカ州の初代リーダーであったデーナ・カーロス(Dana Carros)さん、ISAのフィッシュパウダー開発の担当であったエンジニアのデイビッド・クーパーさんが主に証してくださることになりました。
クリス・フィアラさんがまず初めに「アラスカ精神」という題名でプレゼンを見せてくださいました。彼は根っからの漁師という感じで、「私が考えるに、アラスカ精神とは開拓精神で、お父様は全ての食口にその精神を学んでほしかったんだ」と語りました。御言葉では「アラスカ精神とは最後まで責任を果たすこと」だ、と書いてありますが、何十年間もこのコディアック島で遊漁船を行ってきたクリスさんは、そのような難しい環境で事業を開拓しやり抜く精神があり、それが多くの二世たちを感動させてきました。「私は二世たちをよく雇っていて、一日に400ドルくらいの賃金はあげている。そしてお客から500ドル1000ドルのチップをもらうことも稀ではない」と言っておられました。確かに、コディアックでは本土と比べて賃金が良く、米国の二世たちがよく出稼ぎに来ると聞いていました。コディアック教会やオーシャンチャレンジが今でも維持されているのは、このクリスさんの事業と存在が大きな理由であると感じました。
<上:バス教会長が集めてくださったコディアックの食口たちとの証会>
次はデーナ・カーロスさんの話を聞きました。デーナさんが1976年にアラスカ州のリーダーに就任した後、お父様は「すべての州はボートを買いなさい」と言われたそうです。しかし、その時にその指示を真剣に受け取り、ボートを購入したのはアラスカだけだったそうです。(その頃はまだワンホープやグッドゴーの製造は開始されていませんでした。)そのボートは30フィートの大きさでした。そのボートを購入した後、お父様に「ボートの名前を付けてください」とお願いしたところ、お父様はそのボートのサイズを聞かれ、「30フィートです」と返答すると、「65フィートのボートを購入したら名前を付けてあげるよ」と言われたそうです。デーナさんが、「この30フィートのボートで資金をつくり、65フィートのボートを買います」と言ったところ、お父様は、「キング・オブ・アラスカ(アラスカの王)」という名前をくださり、それが購入した30フィートのボートの名前となったそうです。
最後にフィッシュ・パウダーに関わって来られたデイビッド・クーパーさんから話を聞きました。フィッシュ・パウダーに関しては海洋摂理関連の御言葉の中で多く語られていますが、結局は継続できなかった重要な摂理の一つです。そのため、デイビッドさんの話は興味がありました。「フィッシュパウダーは現代では様々なところで良く売られている。その多くは養殖魚のための餌になる低い質のものだ。しかし人間のための高品質の食品としても売られていて、それはサプリとして本当に高価に売られている。過去に私たちがISAで製造したフィッシュ・パウダーは人間用の品質ではなかったが、高品質のパウダーを製造する方法は確立していた」と説明されました。
私が最後に、「なぜ、高品質のフィッシュパウダーの製造を継続できなかったのですか」と聞くと、「魚のプロテインを分解するイーストに食べさせる砂糖がコディアックでは高価なため、採算が取れなかった」という返答でした。
コディアックでフィッシュパウダー製造を継続できなかった理由は、短い会話で説明できないほど困難で複雑だったと思いますが、現にサプリとして商品化している会社があることを考えると、継続していれば道を見つけられたかも知れません。「多くの事業が失敗するのも、商品化する途上で計算外の障害が起こり、それが投資意思を大幅に上回り、投資枯渇が起きてしまうからだ」と聞いたことがあります。私もパラグアイに2013年に移動する以前は、北米の外部の会社で様々な航空機の開発に7年間ほどシステムエンジニアとして携わっていたので、新製品開発には必ず予期しない障害が多々起きることを知っていました。そして、その障害の大きさによっては、経済的に乗り越えることは無理と最終判断が下され、数千億ドルのプロジェクトが廃止されることを経験しました。
フィッシュパウダーは冷蔵する必要がなく、世界各地へそのまま輸送することができます。飢餓に瀕している人々にタンパク質を低価格で提供できるように、真の父母様は開発のために多くの投入をされました。南米では、穀物もパウダーにして、フィッシュパウダーに混ぜることまで検討されていたそうです。飢餓に瀕している人々にも、地域によって異なる栄養不足があるので、様々なタイプのパウダーを調合できるようにするべきです。
将来は、再度フィッシュパウダーの開発を試みなければならないと思います。どうやったら再開できるのか、と考えると、やはりコディアックのように漁業が盛んで、冷涼な気候で、加工に適した場所が最適ではないかと思います。今年8月にOcean Providence LLCの責任者たちがコディアックに釣りに来たそうですが、彼らは小さな加工工場をコディアックで買う件について検討していたそうです。フィッシュパウダーの開発は実際にはストップしてしまいましたが、それに対する真の御父母様の願いは途絶えず、何らかの形で再開を可能にしたいと考えている人たちがいることに希望を感じました。
証会に集まってくださった十数名の食口の皆様各自は、今まで数十年もの間、貴重な海洋摂理の歴史を歩みながら、コディアックを守って下さっている方々でした。残念だったのは、皆様全員から話を聞くことができなかったことです。最初からもっと余裕をもって週末に来れば、より深い話を聞けたかもしれないと思いました。
南米の若者たちを北米の聖地へ
翌日の9月19日の朝は、オーシャンチャレンジのプログラムの運営者であるルーカス・バーシーさんとその奥さんのタズナと会議を行いました。ルーカスは遊漁船を持っていて、オーシャンチャレンジ以外は、遊漁船の釣り観光事業を行っています。
彼らとは以前からメールなどで対話はしてきましたが、今回は始めての対面でした。まずは簡単に私の意図を説明しました。「南北米統一運動の一手として、南米の若者たちをコディアックに連れてきたい。しかし、南米の人たちの収入は北米の十分の一くらいしかない国もある。南米では万物復帰も北米と比べて難しい。現在のコディアックのオーシャンチャレンジ・プログラムの参加費は2500ドルなので、南米からの参加には無理がある。そのため、南米の若者たちが参加可能なシステムをつくりたい」と伝えました。
そうすると、二人ともすぐに同情と理解を示してくれました。タズナさんは、親が南米の宣教師だったらしく、すぐに、「コストが心配であれば、スポンサーを募ることができます。旅費も助けることができます」と言ってくれました。ルーカスとタズナの対応に、南米の教会の若者たちに対する純粋な同情が感じられ、仁美子さんも涙ぐんでいました。
口約束ですが合意したことをまとめると次のようになります。
2025年のコディアック・オーシャンチャレンジに4~6名の南米の若者たちを募る
南米からの参加費は400ドル(南米で住んでいる証拠が必要)
募集する時、英語が分かる人を優先する
ジョンが旅費のスポンサーを募る
北米で参加費のスポンサーを募る
この内容を南米大陸会長に伝え、正式にして、来年から実行して行きたいと思います。
<上:オーシャンチャレンジの責任者であるバーシー夫婦とノースガーデンで相談>
北米の分裂の爪痕
ルーカスとタズナとの会議のあと、デーナ・カーロスさんに誘われて、「コディアック・ハナ」という日本食レストランでバス牧師も一緒に昼食をしました。
オーナーである出村さんは寿司を握っておられて、私が佐藤健雄の息子だと知ると、懐かしそうに幾度も話しかけてくださいました。私がレストラン事業に興味を持っている事を話すと、「海洋摂理の趣味産業のこと、あなたのお父さんの言ったことを良く勉強しなさい。レストランは、難しいが本当に人を繋ぐことができるビジネスだ。コツコツと信念をもって問題を解決していけば、必ず成功する」と激励してくれました。
コディアック島では、一部の材料は一年に一度しか仕入れられないので、大きな冷凍庫で一年分の量を保存するそうです。また、コディアックは夏は旅行客が多いのですが、冬はほぼ人がいなくなるようです。このような僻地で日本食堂を運営するためには多くの困難を超えなければならず、開拓の道だったのだ、と感じました。
このレストランは、以前は「オールドパワーハウス」と呼ばれていた教会の事業でしたが、今は出村さんが運営されています。コディアックでは最高のレストランとして創業当時から今に至るまで続いてきました。しかし、組織分裂で所有権を奪われた後、出村さんが個人的にレストランを買い取り、続けてきたそうです。食口たちも務めていて、給料が良いので、二世も米国本土からはるばるアルバイトに来るそうです。以前は教会を経済的に支える事業だったのですが、数年前にオーナーの出村さんは、家庭連合から去ってしまったそうです。
デーナさんはこのレストランを最初に造った時に貢献したらしく、出村さんと色々な縁があるようでした。しかし、やはり組織分裂が理由でこのレストランには来なくなり、今回来たのは5年ぶりだったようです。出村さんとデーナさんは見かけは仲が悪そうですが、出村さんの手が開いた時には、様々な昔話を交わし合っていました。そんな二人の様子に、長年の縁でコディアックで戦ってきた同志なんだな、と思いました。そのジョークたっぷりの受け答えに私も大笑いしてしまいました。
食事の後、デーナさんは、食堂のすぐ横にあるISA第一工場の跡地を見せてくれました。工場は解体されており、現在はカニ漁のかごなど、漁業用の資材置き場になっていました。その工場と食堂の間のドックから、お父様は常に船に乗られて釣りに出て行かれたそうです。
真のお父様の誇りと希望であり、たくさんの兄弟姉妹たちが人生を投入したISA工場が奪われ、売られて解体され、ただの物置き場になってしまった現状に、「御父母様が可哀そう」と仁美子さんは旅の間、幾度も涙を流していました。世界各地でこのような状況が多い中、真の御父母様はどのような悲しみを抱えておられるのか、私には想像もできません。
海洋摂理で失ったものは多いですが、その目標は変わりません。今日も飢餓で苦しむ人々が変わらず救いを待っています。真の御父母様と一世たちが見せてさった軌跡を踏襲して、必ず飢餓問題解決という世界平和の目標を、統一食口たちが果たしていかなくてはいけません。
<上:ISAの第一工場があった場所。工場は解体され今は物置き場となっている>
<上:ISAの第二工場はシルバーベイという会社に買い取られていた>
<上:コディアック・ハナ(以前はオールドパワーハウス)と言う日本食堂>
真のお父様のレガシー(遺産)の保存
海洋摂理の観点では、教会で起こった組織分裂はどこまでも非生産的だったと思います。飢餓問題や環境問題という人類共通の世界的問題を解決するためには、統一食口たちの統一だけではなく、国連をはじめとする世界のあらゆるアベル的組織や団体、キリスト教は言うまでもなく、ユダヤ教、イスラムの組織までも包摂して協力していかなくては、巨大な目標を達成することはできません。
しかし、組織分裂を促す人の中には、「お父様のレガシー(遺産)を保存するため」だと言いながら、分裂を正当化する人々がいるのですが、果たしてその行動によって、本当にお父様のレガシーを保存することができるのでしょうか。まず、レガシーとは何でしょうか。御言葉や事業基盤や土地の保有などのことでしょうか。あるいは真の御家庭の血統でしょうか。
もちろん、御言葉も真の御家庭の血統も資産も重要です。しかし、私にとって「真のお父様のレガシー」とは、私たち食口たちが幾度失敗してお父様を裏切ったとしても、お父様は私たちを諦めずに導かれ、忍耐をもって繰り返し説得を続けられたことだったと思います。私たちの組織には多くの問題が起きますが、私たちは共通の理想を持つべき者たちです。各自が足らないことを認め、お互いに対して、真のお父様のような忍耐を持って、分裂せずに歩むべきだと思います。海洋摂理は分裂することで成すのは絶対に不可能です。
真のお父様は1960年代に韓国で海洋摂理を始められましたが、当初から私たち食口たちは海洋摂理を嫌いました。
「1963年に韓国で船を造ったのですが、その名が『天勝(チョンスン)号』でした。天が勝利する、神様のみ旨を成就するという意味です。『天勝号』を造り、『世界の海を占領しよう』と語ったのです。しかし、誰もが船に乗るのを嫌いました」
(真の父母経10篇、294-177, 1998/06/14)
1970年代に米国でも海洋摂理を開始されましたが、やはり食口たちが海に出るように訓練することは難しかったようです。
「人々は船に乗ることを恐れます。若い者たちに『船に乗りなさい』と言うと、怖気づいて皆逃げていきました。『先生、私は船酔いが激しいので駄目です。船に乗るだけで吐き気がして死にそうです』と泣き言を言うので、私が先頭に立ちました」(自叙伝 第四章)
しかし、真のお父様は私たちを説得し続けられました。
「多くのアメリカ人がそのようなシー・フードを好んでいます。先生はそれを知っていましたから、先生が一人であらゆることを開拓し、開発したのです。それから食口達を説得しなければなりませんでした。先生は多くの食口達が過去5年間の内に、オーシャン・チャーチから逃げ出すのを目撃しました。しかし、先生はそれを続けたのです」
(み旨と海 第十一章 1985年 8月 バークレイ)
何十年もかけて説得したにも関わらず、私たちに理解されずに口惜しさを幾度も口にされながらも、将来、私たちが理解することを願われたのです。そして、霊界に行かれた後でも私たちが海洋摂理を続けることを願っておられました。
「今後は海、水を主管しなければなりません。そのような思想をもてば世界を主管するようになるのです。水が一番重要です。ですから、私が霊界に行く前に、大きな地域を中心として水を主管する事業に着手しておかなければなりません。それで、せっせと多くのみ言も語っているのです。私が話しておけば、後孫たちが成し遂げるだろうと思っているのです」
(環太平洋摂理 276-296, 1996.3.10)
「今後私が、飢え死にする人々を救ってあげる時までその精誠を込めるならば、私が死んだとしても、そのみ旨はこの地上に成し遂げられるだろうと思っています」
(環太平洋摂理 279-308, 1996.9.22)
真のお母様も次のように語っておられます。
「私は、その海を心から愛しています。海には神様の深いみ意があり、人類の将来があるからです。私が海を愛したように、夫も水を非常に好んでいました。私たちは忙しいスケジュールの合間を縫って、川や海に出掛けました。それは単に素晴らしい風景を楽しんだり、のんびりと釣りを楽しんだりするためではありません。世界の人々に、人類の未来は川と海にあると気づかせるためでした」
(自徐伝「平和の母」)
真の御父母様は、私たちに海に未来があると気づかせようと、その重要性を説得しようと、何十年間も常に釣りに行かれ、そのお姿を世界各地で残されていかれていたのです。
数年前に私の父が聖和し、米国ニュージャージーのクリフトン教会で追慕式を行ったのですが、ボストンで米国海洋教会を数十年も守ってきたマニュエル・カサダさんという人が参加してくださいました。追慕式を終えパラグアイに帰る私に対して、その人は、「私は一つだけあなたに伝えたいことがある。この言葉は、あなたのお父さんが私をボストンに人事した時に言ってくれた言葉だ。今回は私が同じ言葉をあなたに伝える」と言いました。それは次の言葉です。
「Everything comes to the patient man」
「忍耐する者にすべてが集まる」
海洋摂理を学んでいる私たちにとっては、どれほど私たち食口たちが失敗してきたか、どれだけ真のお父様が私たちに対して忍耐されてこられたかを知っています。海洋摂理を行うためには、真のお父様が私たちに対して忍耐されたと同じように、私たちはお互いに対して忍耐で接し、諦めずに歩む必要があるのだと思います。
真のお父様が見せてくださった忍耐力を受け継ぎ、いつかは世界すべてを説得し、協力体制を築き、世界の飢餓問題を必ず解決していかなくてはいけません。
アンカレッジ教会とベーリング海峡橋梁トンネル
9月19日の午後3時の飛行機でコディアックを出発し、ニュージャージー州に向かいました。その途中、アラスカ州の首都アンカレッジで8時間の乗り継ぎ時間があり、その時間帯にアンカレッジ教会でウィットモアさんご夫婦に会うことになりました。
このウィットモアさんご夫婦は、アラスカ43家庭の中の一家庭です。その歴史ですが、1980年代、真のお父様は、アメリカ人男性と日本人女性50組の夫婦をコディアックに動員され、彼らを魚加工工場で訓練され、その上で、世界の各地で海洋摂理基盤を造成するために、彼らを世界に派遣されました。この家庭がアラスカ43家庭です。最初は50組いたのですが、数組は様々な理由で行けなくなり、最終的には43組が海外に派遣されたそうです。
アンカレッジ空港に着くと、ケン・ウィットモアさんが迎えてくれました。教会は空港から20分ほどの近い場所にありました。教会は大きな家で、家の前の土地は広く、その土地を現地のサッカーチームに貸して収入を得ているとのことでした。ここにはコディアックの二世が数名生活しています。コディアックには大学がないので、このアンカレッジまで来て大学生活を過ごしているようでした。
教会に着いてしばらくすると、教会長のユージーン・ハーネット(Eugene Harnett)さんが来られ、皆で夕食をしました。教会長に今回の旅のことについて話すと、「確かにお父様が米国摂理を始められた頃は海洋摂理が盛んだったが、このアラスカでも教会内で海洋摂理についてあまり話すことは無くなってしまった。しかし、ここでは、先週、知識人を集めて『ベーリング海峡橋梁トンネル』に関して会談をしたんだ」と語っておられました。確かに、アラスカのアンカレッジは、ベーリング海峡橋梁トンネル摂理の最先端の位置にあります。ウィットモアさんが、「政治家は変わるし、世論も変わる。今はウクライナの事があって政治家はこのようなプロジェクトについて話すことができないが、知識人たちは今の政治や世論よりも遠く先の未来を見据えている。このプロジェクトを常に推進させ議論し続けることにより、政治と世論がこのようなプロジェクトを認める流れにいつかなる。その時に、すぐに始めることができるように準備している」と語っていました。ちなみに、ベーリング海峡には氷山が流れてくるので、橋ではなくトンネルが現在の議論の中心になっているそうです。
実はベーリング海峡のトンネルを含む世界平和高速道路は、海洋摂理の一部とも言えます。コディアックのノースガーデンの二階には、2005年にお父様御自身が描かれた世界平和高速道路の構想地図が飾られています。
この構想は2005年に始まったわけではなく、お父様の御言葉を見ると1982年にはすでに海の資源を主管するために国際平和高速道路について考えておられたようです。
「未来において、私たちは海を主管しなければなりません。海にあるすべての金銀財宝を私の手で開発するつもりです。そのようなことを考えていると、トンネルをたくさん掘らなければならないという結論になったので、ハイウェイ・プロジェクトも出てきたのです」
(環太平洋摂理 第一章 116-326, 1982.1.2)
また、自叙伝にはこのように書かれています。
「国際平和高速道路は、世界を一つに結ぶグローバル統合プロジェクトです。一つになるということは、単に互いに離れた大陸を海底トンネルと橋でつなぐということだけでなく、世界が平準化されるという話です。技術を独占し、その利益を独占するとき、世界の均衡は崩れます。国際平和高速道路は、世界の地下資源と人的資源の不均衡を調節し、等しく豊かに暮らす富の平準化を成し遂げてくれます」
(自叙伝 第七章)
良く見ると、お父様が描かれた世界平和高速道路は、海岸と海上のみに描かれています。世界平和高速道路はつまり、海の豊富な資源を主管し、世界に均等に分配し、「ために生きるシステムの一環」だったのです。
<ノースガーデンの二階に飾られている世界平和高速道路の地図>
ベーリング海峡のトンネルについての議論が、未来を見据える知識人によって今だに最前線であるアンカレッジで行われていることに感謝です。摂理はその意義を強調し語り続けて行くことで、心ある二世がその意思を受け継いでいくことができます。
南極のオキアミ(クリル)漁
アンカレッジ教会に訪問した間、私として本当に良かったと思ったのは、ケン・ウィットモアさんとその相対者の真佐子さんから、ウルグアイを拠点としていたトップオーシャンというオキアミ漁とフィッシュパウダーの摂理のことについて聞けたことでした。
<上:アンカレッジ教会にて夕食。右側がウィットモアご夫婦>
お父様は、南極のオキアミ漁について次のように語られました。
「南極海に行ってオキアミを獲り、食糧問題の解決において、人類に影響を与えることができる時代に入ったので、今後、世界の三分の二の人々は、統一教会を注視するのです。統一教会のみ言と海洋摂理を中心として、食糧問題解決のための全般的な準備をしてきているので、全世界が希望をもっているというのです。今や黎明(れいめい)を過ぎて、希望の太陽が昇ってくる時になったので、誰も遮ることはできません」
(真の父母経十篇二章 339-110, 2000/12/07)
誰しもが、この御言葉を読んで、オキアミ漁にお父様がどれだけ希望を感じておられたか感じることができるでしょう。また、このようにお父様は話されました。
「私たちは今、南極海に行ってオキアミを獲っています。先進国がそれを食糧にしようとして失敗したことを、私たちが研究して連結したので、海洋産業の中で、私たちの南極オキアミ事業は、世界の最先端を走っています。世界の頂上の位置に上がっているというのです」
(真の父母経十篇二章 337-024, 2000/10/17)
ケン・ウィットモアさんによると、本当にオキアミ漁の最先端にいたようで、ボストンの新食品エキスポに釣れたオキアミを出展したところ、銀メダルを獲得したそうです。審査員は「金メダルをあげなかったたった一つの理由は、直接消費者に販売しようとしているからだ。直接販売の市場は小さい。もし、オキアミを、遥かに市場の大きい食品加工業者に販売するつもりだったなら、金メダルをあげていただろう」と言ったそうです。
実際、ウィットモアさんによると、オキアミは一度に何百トンも釣れるのですが、販売はうまくいかなかったようです。エビという食品はその大きさで値段が決まり、消費者に向けては高値で売ることができなかったそうです。そして、南極に行く漁業で手一杯で、結局は販売ルートを確立できなかったようです。これが継続できなかった理由の一つだったようです。
また、お父様は船についてこう言われました。
「私たちが水産事業をする目的は、お金を稼ぐためではありません。海洋産業の開発のために努力していくと、歳月が経つにつれ、神様が保護して、今や、世界が無視できない海洋産業の発展を成し遂げました。大きな船舶を五隻造り、ただ死んでいく南極のオキアミを漁獲して、食糧問題解決の先頭に立ったのです」
(真の父母経十篇二章 344-034, 2001/03/01)
お父様のみ言葉では、「トップオーシャンとして購入した5隻の船は、建造された新しい船」というような表現をされていますが、ケン・ウィットモアさんによると、「新しい船を建造するはずだったが、責任者は古いロシア製の漁船が売りに出されていたので、その5隻を購入した。結局、その5隻の内、一隻だけが整備し終えて、実際に南極付近でオキアミ漁を行うことができた。その他の4隻の内、2隻はインド人に売られて、インドに行く途中でその内一隻は大西洋に沈んでしまい、また、残った2隻はスクラップとして売られてしまった」ということでした。
唯一機能していた漁船も、最後には投資が続かず、燃料や乗組員の給料を十分払えない時期が続き、何年も維持だけで港から出ることができず、最終的には売られてしまったそうです。総合的には二千万ドルほどの投資をしたようですが、それだけでは十分ではなかったようです。ウィットモアさんの上司も、トップオーシャンだけではなく他のプロジェクトを運営していたこともあり、資金が十分に廻らなかったようです。
資金問題で悩んでいたある日、ノルウェーの最新の漁船がウルグアイのモンテビデオ港に着き、その船長がウィットモアさんを訪ねてきたそうです。その船長が言うには「ノルウェーで統一教会のメンバーにレバレント・ムーンのオキアミ漁のビジョンを聞いて、一億五千万ドルの投資をしてオキアミ漁船を建造し、ここまで来たんだ」と話したそうです。そして、その漁船を見学させてもらったところ、病院のようにきれいで、加工システムが密集し、整備しにくいトップオーシャンに比べると、余裕あるスペースに最新の加工システムが並んでいたそうです。そして、この船は、南極の氷にぶつかっても問題ない強度をもち、港に戻らずに長く漁ができるような機能を持ち、釣れたオキアミを他の船に頼んで港に輸送する方法をとっていたそうです。
ウィットモアさんの話から、なぜオキアミ漁が継続できなかったかをまとめると、(1)新しい船を製造するのではなく、古い漁船を購入し改造して使い、適切に初期投資を活かせなかったこと、(2)オキアミの販売方法が確立していなかったこと、(3)漁に出続ける投資資金が継続しなかったこと、となります。
インターネットで調べたら、現在は、日本、韓国、ノルウェーが南極のオキアミ漁を主に行っているようで、漁獲量は年間に約50万トンほどのようです。その用途は、主に養殖魚の餌として使われており、人間の食品に混ぜたり、サプリとしても売られているようです。実際、オキアミ漁の漁獲量は、年々増加傾向にあるようで、もし、より厳密に市場調査して製品開発を継続していたなら、適切な市場を見つけることができていたかもしれません。
行おうとしていた事業と目標に対して計画された投資があまりにも十分ではなく、予期しない問題に対して経済的に乗り越えるリスク管理的余力がなかったことが、継続できなかった大きな原因のように思いました。投資が続かなければ、それまで時間をかけて教育してきた人材もノウハウもすべて無くなってしまいます。良く研究し計画をつくり、十分な初期投資と回転資金を用意し、適切な設備をもった船を建造し、利益が出るまで投資を続ける体制が必要だったようですが、投資が摂理のスピードに対応できなかったのではないかと思います。
「勝利の秘訣は勝つまでやることです」
ウィットモアさんはこのような失敗経験をしたにも拘わらず、ポジティブな方でした。「今までのたくさんの失敗は、我々の成長の痛みだよ」と言われていました。確かに、今では世界で誰もが知るアメリカ発祥のモルモン教団は、二度も都市建設に失敗し、創始者のジョン・スミスもその途中で殺されてしまいましたが、最終的にはソルトレイクシティに定着し、現在の巨大な国際基盤を造り上げました。
海洋摂理の中でフィッシュパウダーやオキアミ漁など、真のお父様の願いに添えず、数えきれない失敗がありました。しかし、飢餓問題解決などの偉大なビジョンに向かうためには、その成長過程での多くの失敗は、最初から覚悟するべきことなのだと思います。
アラスカ43家庭を訓練される時、真のお父様は、「勝利の秘訣は勝つまでやることです」と言われたそうです。
失敗した理由には複雑な理由があったのでしょう。しかし、世界に貧困と飢餓で苦しむ人々がいる限り、海洋摂理の目標は変わることはありません。それを誰かがいつかは解決しなくてはいけません。これからは私たちが新しい方法を考え、事業を起こし、各事業の問題を超えていく体制を構築していかなければなりません。
ニュージャージーの海洋教会
ウィットモアご夫妻にもっと話を聞きたかったのですが、飛行機の時間が来てしまい、飛行場に向かいました。次はニュージャージー州のリトルフェリー市の海洋教会に向かいました。そこでは、私の姉が海洋教会(オーシャントライブと呼ばれている)の責任者であり、そのメンバーたちが南米の話を聞きたいと、私たちを待っていてくれました。
実は米国の海洋教会、「オーシャンチャーチ」は、1980年10月1日、ニューヨークのベルベディア公館で設立されました。設立当初は、神学校卒業生から30名の教会長候補を選定し、全米30ヵ所で海洋教会を出発することがお父様の指示でした。また、1981年にはマサチューセッツ州グロスターで、毎夏に「オーシャンチャレンジ」と言うマグロ釣りの訓練を始められ、約150隻のボート(28フィート・ワンホープ号)を製造し、米国の食口たちをすべて訓練しようとされました。(お父様はグロスターにモーニングガーデンを準備され、そこを教育訓練の拠点とされましたが、その館も今年売られてしまいました。)
しかし、当初定められた30か所での海洋教会の定着は難しく、1990年代になると、真のお父様御自身が海洋教会の構築を始められ、ニューヨーク州の真の父母様の公邸・イーストガーデンから一時間圏内にあるニュージャージー州に拠点を定められ、海洋教会とボート工場を直接主管されました。コディアックに居られるときは加工工場を常に訪問されたように、ニューヨークに居られるときは海洋教会とボート工場を常に訪問されたのです。ニュージャージー州の海洋教会は、1990年代には米国で最悪の治安状態だったジャージーシティー市のリバティーハーバー・マリーナにありましたが、そこから真のお父様はニューヨーク周辺の海域に釣りに出られたのです。
<上:リトルフェリーの海洋教会に飾られている30か所の地図>
1999年から、ボート工場は、イーストガーデンから30分圏内のリトルフェリー市ハッケンサック川沿いの工業団地の中で、True World Marine Inc.という名前で運営されました。2004年には真のお父様のご希望を込めて、約五千平方メートルの第二工場まで建てられたのです(第三工場の建設もご指示)。しかし、2004年の指導者交代後、ボート工場はノースカロライナ州に移されました。そしてその後のリーマンショックの中でノースカロライナの工場は閉鎖され、売られてしまいました。リトルフェリーの二つの元ボート工場も、売り払われてしまったのです。
ニュージャージーの海洋教会は、以前はレストラン、釣具店、ボート工場などの事業体と一体となっていましたが、工場がノースカロライナに移動した後は、メンバーもほぼいなくなり、後任の高橋健作さんがご苦労されながら運営しておられました。組織分裂の弊害の中で、ニュージャージーの海洋教会に残されたのは数台の古いボートと、リトルフェリー市の小さな港のみでした。
現在、海洋教会自体には、ボートを使った遊漁船事業以外にはなく、現地の水産事業からスポンサーを引き受けてもらい、「ピースキングカップ」と「ピースクイーンカップ」など、ハドソン川を中心としたストライプバスの釣りトーナメントを主な活動として行っています。また、ニューヨークとニュージャージーの教会に所属する青少年たちに、北米海洋摂理のビジョンについて教育活動を展開しています。現在の重要な焦点は、継続性のある事業基盤を造ること、そして米国教会が海洋摂理に対しての意識を高めること、二世や若者たちを米国の水産基盤のビジョンと仕事を引き継ぐように導くことにあるようです。
9月21日の土曜日の朝から、リトルフェリーの海洋教会のメンバーたちが集まってくださり、「南北米統一」の話をしました。出席してくださったのは、1980~1990年代からの海洋教会のメンバーたち、東海岸のYSP(北米ではNextGenという)の責任者であるヤス君、本部人事部のスーザンさん、そして数名の海洋教会の熱情的な若者たちでした。本当は短い時間の中でディスカッションをしたかったのですが、北米の若者たちに世界に対してどのように責任があるかを伝えたい気持ちが強く、長く語ってしまいました。
<上:ニュージャージー州のリトルフェリーの海洋教会にて>
その若者たちの一人であるマイケル君は、「ここで話された内容や御言葉は数十年前のもので、現在のお母様の御言葉や指示を、より重要視した方がよいのではないか」と質問してきました。私はこう答えました。「1995年サンパウロ宣言で始まった第二次四十年路程と南北米統一運動は、実は二世祝福家庭の責任であり、それはまだ続いています。摂理は、延長したり方法が変わったりしますが、その目的は変わることはありません。お父様は1995年にこの摂理を開始されたのですが、翌年の1996年には、それをご自分は忘れてしまう、と言われました。それを覚えて実践するのは、私たち祝福家庭の責任だからです」
海洋摂理は続いています。真の父母様が霊界に行かれても、私たちが世代を超えて責任をもっていかなくてはいけません。お父様はそのように願われて、次のような御言葉を残していかれました。
「全世界で飢え死にしていく何千万の人々のために、先生は養殖場をつくったのです。公害によるオゾン層の破壊問題を人類の代表として解決できる人は、先生しかいません。そのように、各方面に関心をもって進んでいかなければなりません。先生が行くことができなければ、皆さんが涙を流し、汗を流しながらでも行かなければなりません。『先生の足跡の上に自分も足跡を残そう』という心をもたなければなりません。原理の道は、そのまま踏襲していく道です。越えていく道ではありません。おじいさんも行かなければならず、お父さんもお母さんも行かなければならず、子々孫々、何千代の子孫も、それと全く同じように行かなければならないのが原理の道です。ですから、蕩減の道です」
(環太平洋摂理 246-202, 1993.4.16)
長期目標と総合的な教育の必要性
海洋教会で目指す教育は何でしょうか。それはありふれた人格教育ではないし、釣りをして神様の愛を感じるということでもありません。それは、お父様が食口たちに漁業や加工工場などを通してコディアックで教えられた開拓精神とやり抜くアラスカ精神をもち、為に生きるための経済基盤と仕組みを造り、世界の貧困地域に行って定着し、食糧を分配し、現地産業を起こし、技術教育・思想教育をしていく「海洋摂理宣教師」たちの輩出です。その人たちが、韓半島を中心とした真の父母様に直結し、酸素と栄養素を身体の隅々まで届ける毛細血管のように、御言葉と食糧・技術を届け、内的と外的な世界的ネットワークを造っていくことによって、共生共栄共義の世界が実現化するのです。
私たちは摂理を長期と短期に分けて理解する必要があります。「ビジョン2027年」や現地の伝道に関する目標は比較的に短期的摂理と捉えることができます。「飢餓問題解決」・「南北米統一」・「宗教文化圏統一」・「第二次四十年路程」などは長期的摂理であり、二、三年で出来ることではありません。真のお父様も、北米で幾度も「20年間の計画」と言われて水産事業を構築されました。
しかし、現在では短期摂理のみが教会内では強調されがちです。「あれ、南米摂理や海洋摂理って終わったんだっけ。あまり重要じゃないんだな」と疑うようになるほど、長期摂理について語られる傾向が少なくなりました。しかし、真の父母様と私たちの総合的で究極的な目的である世界平和の実現には、長期摂理がなくては、いつまで経っても到達できないのです。
「人類が飢餓問題を解決しなければ、この世界に本当の平和はありません。すぐに横にいる人が空腹で死んでいくのに、それをそのままにして平和を語るのはあり得ないことです」
(自叙伝 七章)
また、長期摂理を話さなければ、それに対して用意もできないし、生活を合わせることができません。また、長期摂理を理解しなければ、海洋摂理などの中での多くの食口が苦労した理由が分からず、恨みにまでなってしまいます。現に、数年前に話した米国食口の中には、「海洋摂理など苦労が多くお金にならないのに、お父様はそこに投資され食口たちを無駄に苦労させた。より簡単に資金を作り出す方法があった。水産事業をやったのはお父様の間違った判断だった」と、浅い理解をしている人が二人ほどいました。
実際に、真の御父母様は、北米で水産事業に多くの資金、人材、時間を投入され、多くの食口たちが苦労をしました。その経済基盤は十分ではなかったとしても、教会の全ての活動を支えてきたのです。しかし、その事業を真の父母様が造られたのはお金や献金や食口の生活だけのためではなく、「世界のために生きるシステム」を構築するためだったのです。教会では「献金」と「伝道」が食口個人の基本的責任であると考えがちですが、それよりも基本的であるのは、「人のために生きる」ことだと思います。北米で出発した水産事業は、統一食口たちが「世界レベルで人のために生きる具体的方法」になるべきでした。
「海洋摂理はお金のためだった」という間違った理解があると、より簡単にお金ができる方法を求めてしまい、信仰ある二世たちであったとしても北米の水産業を継ぐことはなく、真の父母様が構築された水産事業の摂理は忘れ去られ、北米の教会は経済基盤を失い、「世界平和」や「為に生きる」という言葉は実体を持たず、言えば言うほど信頼を失う浅薄なスローガンとなり、統一運動は廃れていくという悪循環を経ることになるのではないでしょうか。
今の状況を打開するためには、私たちは何をすれば良いでしょうか。
まず、長期摂理継続のために緊急にやらなくてはいけないことは、私たちが長期摂理について再度勉強し、主人意識を持って責任を理解し、それを若い世代に伝達していかなくてはいけません。これは、中高校生などの青少年教育から始めなくてはいけません。なぜなら、二世たちは様々な才能、特技を持っているのですが、それを生かす方法が示されることが少ないからです。青少年たちが人生の進路を決める前に、様々な専門性が必要になる、長期的で具体的な摂理を教えてあげたいのです。長期的で具体的な摂理継続のためには、工学士、建築士、教育者、医療関係者、経営者、弁護士、観光ガイド、メカニック、プログラマー、生物学者、経済学者など、本当に多くの専門性を持つ人々が必要なのです。
次に、現在の北米の水産事業を強化していかなくてはいけません。教会の若者たちも家庭生活のために生活基盤が必要です。そのために、若者たちが摂理的な目標を持つ事業を起業するか、あるいは、現存する摂理的企業で働けば、個人レベルの目標である家庭生活や献金と長期摂理的目標を両立することができます。人生を、具体的な世界平和のビジョンの実現のために捧げることができるのです。若者たちに長期的摂理を教育しなければ、彼らはともすれば生活のためのお金をつくり易い方法を探し求め、献金するのみで人生を終えることになるかもしれません。
ラスベガス
9月24日には、ニュージャージーを出発し、快楽と堕落の都市といわれているラスベガスに向かいました。ラスベガスに関しては次のような御言葉があります。
「アメリカを滅ぼす本拠地がラスベガスです。ラスベガスの首根っこをしっかりつかみ、天の機関として使用すれば、平和の王国がそこから花を咲かせ始めるのです。腐敗の本場で、摂理の花が咲く基盤が生じるのです」
(真の父母経十篇二章 592-305, 2008/06/11)
空港に着くと、南北米福地開発協会の奈田先生が迎えてくださいました。北米ではボート会社が奪われてしまったのですが、最後にお父様が北米のボート摂理を任せられたのはこの奈田先生でした。真の父母様はラスベガスを北米最後の拠点として開拓され、ミード湖で釣りを多くされました。そこで当時海洋教会の責任者だった高橋さんと奈田先生はボートでお父様に侍ったそうです。奈田先生によると、お父様は、「ここで海洋摂理の総まとめをする」と言われたそうです。そして北米の家庭連合本部をそこに移すように指示されたそうです。
奈田先生によると、ラスベガスのカジノを経営する代表的会社は十社くらいあり、その会社の責任者たちに、カジノの利益の一部をアフリカに送るように、お父様は説得しようとされたそうです。真の父母経にはこのような御言葉があります。
「それ(ラスベガスの淫乱の世界)を消化し、そこから得られる収益の半分をカイン世界の息子、娘たちを教育する費用として使わなければならず、その次に、世界で毎年飢え死にする二千万人を助けてあげることができる平和の基地に転換させなければなりません。そのようにしてこそ、この地上に神様のみ旨の基盤ができるのです」
(真の父母経十篇二章 589-056, 2008/04/28)
また、現在ラスベガスの家庭連合最大の建造物であるIPEC(国際平和教育センター)の土地は、元々はボート工場を建設する予定でお父様が購入された土地だったのです。しかし、ボート工場としてのライセンスが降りず、その代わりにIPECが建てられたのでした。
2011年8月18日には、ラスベガスで「圓母船(ウォンモソン)」という24フィートボートの進水式が行われました。その時、真のお父様は、それまで数十年にもわたって行ってこられた海洋摂理への投入について次のように語られました。
「本人は飢餓で苦しんでいる人類を解放する為に、すでに1960年代から去る50年余りの間、海洋産業に投資してきましたし、ボート産業および釣り技術など海洋技術を開発してきました。1980年代にグッドゴー(Good Go)船舶を建造し、アラスカ ・コディアックとメキシコ湾など、美国30ヵ所余りに海洋産業の基地を作りました。1990年代にはブラジルとウルグアイを中心に南米海洋産業に投資するなど、全世界52ヵ国に世界的な海洋ネットワークを造りました。こういう基盤の上に2000年代、大韓民国南海岸の麗水と太平洋中央にあるハワイを、環太平洋時代の海洋産業のハブとして発展させて参りました」
(ラスベガス 2011年8月18日、圓母船奉献式・進水式にて)
真の父母様には、本来、福音派を中心として米国で再臨主として受け入れられ、米国の権力と財力をもって、南米を始めとする世界のカイン圏を一気に統一するという神様の予定があったのです。しかしながら、逆に既成教会が迫害を主導し、お父様はダンベリーに投獄されました。真のお父様は、地上生活の最後に、米国の霊的底辺のようなラスベガスに拠点を置きながら、あくまでも北米に責任を果たさせようとされていたんだな、と感じます。
空港からの道で見たラスベガスの都市にはあまり興味がなかった分、正直に驚きました。コディアックは森林と草で覆われたエメラルド色の山脈に囲まれていましたが、ラスベガスは橙色の、美しいとは言えない山や丘に囲まれています。その中に圧倒的なボリューム感のある壮大なホテルが多々そびえ立っています。このような光景は、ニューヨークでもロスアンジェルスでも見たことがありません。奈田先生によると、毎年ラスベガスの郊外が拡大され、広いところでは7車線の道路もあるそうです。このような砂漠のような場所で、カジノなどの趣味産業で成り立つ世界があることに驚きました。
奈田先生は都市を通過して、Ocean Providence LLCの事務所に連れて行ってくださいました。そこでは、奥村さんという兄弟に出会いました。昔、お父様のご命令で1997年にニュージャージーのボート工場から、2隻のボートを南米ブラジルのマナウスまでトラックで輸送したことがありますが、それを担当した兄弟だったのです。北米を東海岸に沿って南下し、中米のメキシコ、ニカラグアやパナマの国境を超え、南米にボートを送ったそうです。
実は、真のお父様はその当時、特別な意味を込めて6隻のボートを北米から南米に送られました。2隻は陸を通り、2隻はカリブ海の海路を通り、そして2隻はコンテナ船の最上位に乗せて南米に送られたのです。(グッドゴーは幅が広く通常のコンテナには入らないので、フラットラックという壁のない特別なコンテナで、コンテナ船の最上位に乗せられて輸送された。)北米で開発されたボートは、陸、海、空(コンテナ船)を通して、「北米で培った海洋摂理の祝福を南米に運ぶ」という意味があったようです。ちなみに、この6隻の内2隻はパラグアイのレダがまだ主管しているようです。思いがけず、南米のボートに関連した奥村さんと出会えて嬉しかったです。
ラスベガスの食口たち
奈田先生と奥村さんと交流した後、北米大陸会長のダンクリーさんの家に向かいました。ダンクリーさんは不在だったのですが、私の南米摂理の話を聞くために、現地の食口たちが集まってくださいました。天心苑の責任者の金ギフン先生、伝道の責任者の藤田さん、YSPの責任者であるレスフレッド君も参加してくださいました。講義は食事を挟んで続けましたが、その後に多くの質問があり、その関心の高さには感謝でした。一人の一世の方は、「共生共栄共義社会が私たちの目指すものだということは分かっていたが、具体的にその社会を創る方法の説明を聞いたのは初めてだった」と言ってくださいました。
また、ヨシハ君という若者が、「真の父母様を中心として北米から世界を統一していくことは分かったけど、なぜ、南米が最初でなくてはいけないんですか」と質問しました。私は「北米と南米はキリスト教文化圏内で兄弟の立場にありますが、片方は裕福で、片方は貧乏です。第二次四十年路程の一つの目標としてはイスラムとイスラエル、そしてアジア圏も含めて、世界の宗教思想を統一するという目的があります。そのためには、まずは北米のプロテスタント圏と南米のカトリック圏を統一させた、真のキリスト教文化圏をつくる必要があります。他の宗教やアジア(ロシアや中国)は、兄弟の立場であり隣人である南米のために生きない北米を認めることはしない、とお父様は言っておられました」と答えました。
真のお父様は、まず北米と南米が統一しなければならないことを次のように語っておられます。
「南・北米はキリスト教文化圏です。旧教と新教は兄弟です。今、このままアメリカがアジアに来れば、兄弟を無視して太平洋を渡り、より遠い距離にある我が国にどろぼうしに来たと考えるのであって、手助けしに来たと考えることはできません。アメリカ人がアジアに来る時、アジアの人々はそのように考えるのです。『兄弟たちが一つになれずに闘って、すべて捨ててきた者たちが、私たちの所に訪ねてきて手助けするとはどういうことか』と、このように考えます。どろぼうをしに来たと思うのです」
(環太平洋摂理 第4章第1節2 272-138, 1995.10.1)
食事の時に金ギフン先生が、IPECの土地はボート工場になる予定だったこと、そして圓母船の進水式について話してくださり、感謝でした。YSPの責任のレスフレッド君も、以前はニューヨークのベルベディア教会で青少年たちに海洋摂理の教育を私の姉と組みながら行っていた人で、海洋摂理の重要性を理解してくれている人です。ラスベガスでも、お父様が植えられた海洋摂理の種は生きているな、と感じました。
ラスベガスのオーシャンクラブ
次の日、9月25日には藤田さん、ユーピンさん、えり子さん、アンダック君とミード湖を見学しました。ミード湖は、コロラド州から流れる川をフーバーダムでせき止め、米国最大の人口を擁するカリフォルニア州を含む周辺の数州へ、真水を賄っている巨大な貯水池のような湖です。この水源があるからこそ、ラスベガスも存在できます。もちろん、ラスベガスにおられた真のお父様が多く釣りをされた場所です。ドックから、何千匹もいると思える鯉のような魚の群れが見えました。そのドックに教会が所有する小さなボートがあったのですが、古い二サイクルエンジンがメンテ不足のようで、使えませんでした。
次に、ラスベガスに住む二世家庭の佐桑さんの自宅を訪ねました。昼食をふるまってくださりながら、南米の長い話を細かに聞いてくださいました。佐桑さんは、教会内で様々なネットワークを構築し、それを摂理を行っている人たちのために役立てるのが自分の役割だと思っている、と言っておられました。実は以前、私は佐桑さんとラインで話したことがあったのですが、その時の内容は、彼がパラグアイに家を購入したいので相場を知りたいという案件でした。それほど摂理と南米について興味のある人と知り合えたことに感謝でした。
夕方には、UNLV(ラスベガス国立大学)で、その大学のオーシャン・クラブの数名が集まり、私が講話を行いました。さすがに立派な大学で、ラスベガスのUNLVはホスピタリティ学科で米国一位だそうです。「オーシャン・クラブ」とは、去年設立されたクラブで、その発端は、ラスベガス教会の伝道の責任者である藤田さんが、海洋摂理をラスベガスで再開したいという思いで考案したそうです。その内容は、若者たちを集め、ホームレスのために食事や衛生キットを分配したりする社会貢献活動をしながら、海を中心に飢餓問題の解決方法を議論していく場をつくる、というものでした。
<上:大学の一室を借りて南米の飢餓問題解決システムについて講話を行った>
講話にはスタッフ以外は5名の学生たちの参加だけで多くはなかったのですが、それでも教会外の場所で南米の海洋摂理について語ることは初めての経験だったので、私としてはスリルがありました。これは真の父母様のことを直接証するための講義ではありませんでした。教会外の人々や組織とも必ず連携しなければ、世界の飢餓問題は解決できないので、教会の食口以外の方々に海洋摂理を語るための講義を用意しました。
私は講話の内容を、「南米に、アフリカの飢餓問題を解決する大陸レベルの食糧生産と物流のシステムを構築する」という形でまとめました。まず、世界の飢餓問題の深刻さを話し、現在も将来も一番の飢餓問題にかかえる場所は、人口増加が止まらないアフリカ大陸であることを語りました。次に、南米は他の大陸と比べても人口密度が低く、ブラジル・パラグアイ・アルゼンチン・ウルグアイなどは、世界でもランキングの高い食糧輸出国であることをデータで示しました。そして、南米はアフリカから比較的近く、将来、南米はアフリカ大陸を救える可能性を秘めている、と話しました。
南米の地理を見ると、西はアンデス山脈に囲まれており、東はブラジルなど丘陵の多い地形になっているため、南米に雨が降ると、その降水の殆どは、北のアマゾン川、あるいは南のウルグアイのラプラタ川を通ってのみ、海に向かって水が流れ出ていくことが出来る地形になっています。
そして南米の中央に平らで水が溜まる地形がありますが、それがパンタナールです。南米に集まる水量は圧倒的です。パンタナールは世界最大の湿原地帯であり、アマゾン川は世界最大の排水量をもつ川であり、イグアスの滝は世界最大の水量をもつ滝です。また、ウルグアイのラプラタ川は世界最大の川幅をもっており、南米大陸東南部のグアラニー帯水層は世界第二の大きさをもっているのです。
学生たちに、レダの養殖の写真を見せながら、「パンタナールには多くの水があり、南米は地形などからして食糧生産に適しており、将来、パンタナールを中心として世界の農業と養殖の中心になる可能性を秘めている。パンタナールで生産された食糧をパラグアイ川からウルグアイに運び、南極から取れるオキアミなどと一緒に、冷凍が不必要な粉にして、アフリカや他の世界で飢えている国々に届けるシステムを造るのが、私たちの夢なんだ」と伝えました。
最後に、「世界ではたくさんの団体が、食糧分配からマイクロローンまで幅広く、世界の飢餓と貧困問題を解決しようとしている。私たちがやっていることも、その中の一つでしかない。飢餓問題に一つだけの解決方法はない。重要なのは、たくさんの人たちが様々な方法で世界平和という同じ目標のために研究し続けることだ。皆さんも、世界平和へのアイディアを探してください」と言って終わりました。
講話の後には、学生たちの中には、「パラグアイに視察行きたい、投資はできるのか」などと言ってくれる人もいました。この学生たちは教会の食口ではなく、米国で最悪の淫乱の町に住んでいるのですが、「人のために生きたい、何か世界のためにやりたい」という人間の本然の心がやはりあるのです。海洋摂理は、そのような本然の心を結束することができます。お父様は次のように言われています。
「海は世界を結束させる求心点となるでしょう」(自叙伝7章)
世界を平和に導くためにはどうするのか。飢餓や環境問題などの世界的問題はどのように解決するのでしょうか。それには世界の人々の結束が必要であり、多くの組織が連合体となり世界の問題を解決していかなくてはいけません。そのような連合体は、全ての人間に内在している「人のために生きたい」という人間本然の心が共鳴することができる、「世界のために生きる具体的運動を起こすこと」により、実現されて行くのだと思います。
学生たちと話しながら、「海洋摂理を形にすれば、真の父母様を証することができる。彼らに思想教育を行うことによって、世界のために生きる若者がさらに増えれば、善の循環作用で世界を一気に変えていける」ことが少しばかり実感できたように思えます。
圓母船(ウォンモソン)とその価値
UNLVを出発した時は、もう夜でした。翌日の早朝5時の飛行機に乗ってパラグアイに戻る予定だったのですが、えりこさんが「やり残したことはない?」と聞いてくれたので、「IPECと圓母船を見たい」と言ったら、「行きましょう」と言って、すぐに連れていってくれました。
IPECは大きな建物で、イベント会場として貸し出したりしているそうです。夜だったので中には入れなかったのですが、外から見ると、幅が50メートル、奥行きが100メートル以上あったように思えます。また、その後ろには同じ大きさと思われる大きな倉庫がありました。しかし、現在、そこは他の事業に貸し出しているそうです。
確証はないのですが、この倉庫でお父様は「圓母船の奉献式」をされたのではないだろうかと思います。そして、圓母船ボートをここで製造していくご計画だったのではないでしょうか。ラスベガスのこの倉庫は、ニュージャージー州のリトルフェリー市でお父様が建設された第二ボート工場とサイズが同じのようでした。
リトルフェリー市にあった二つのボート工場は、2005年にボート事業がノースカロライナに移った後、他の事業に貸し出す事務所や倉庫となり、数年前には売却されてしまいました。今でも主に倉庫として使われています。コディアックのISAの第一工場も、奪われ、売却され、解体され、現在は物置きとなっています。
IPECとその後ろにある倉庫は、もともとのお父様のご計画どおりのボート工場として建設されてはいなかったのですが、その大きさを見たとき、私は体がブルッと震えたほど嬉しかったのです。なぜなら、組織分裂などで幾度も失敗したとしても、北米のボート製造業を最後まで諦めなかった真のお父様の思いを、その時感じたからです。お父様が願われたことに対して、パラグアイのアスンシオンにある私が運営するボート工場は小さなもので、運営は厳しいものです。しかし、絶対に諦めてはいけませんし、勝利するまで継続しなくてはいけません。
IPECを見た後、カープセンターの後ろの庭にある圓母船を見に行きました。カープセンターの横を通ると、窓から青年たちが何らかの会議をしているのが見て取れました。後ろの庭に窮屈そうに3隻のボートが置いてありました。一つはキャビン付きのグッドゴーで、お父様が使われた船だったそうです。真ん中に在ったのがセンターコンソールの「圓母船」でした。大きなエビンルード社の船外機が取り付けてありました。2011年に行われた圓母船奉献式後、ほぼ使われないで置いてあったそうです。ボートの上に乗ってみたところ、クッションなどは太陽の熱でボロボロになり、ボートの表面のペイントはところどころ剥げていました。ボートは完璧ではないですが、藤田さんによると、最近修理し始めて、動かせるようにしているそうでした。金ギフン先生が資金を出してくださったそうです。
<上:ラスベガスのIPECの前>
<上:カープセンターの後ろにある圓母船(ウォンモソン)>
<上:カープセンターの後ろにある28フィートと18フィートのボート>
実は、「圓母船はお母様を象徴しているボート」だということを聞いたことがあります。真の父母様が奉献式までされたボートであり、私たちの想像を超えた摂理的意味を含んでいるはずのボートです。
私たちは日々様々なものを捨てながら生活しており、何でも「価値がない」と判断されたものは排除してしまいます。人間は誰しも時間・資源などの限界をもっており、物事に優先順位を付けて時間や資源を分配します。そのような優先順位の判断は、価値をどのように理解しているかによって決まります。価値がないと判断された物は、時間をかけて世話をしないし、捨てたり、安く売却するでしょう。また、価値をある程度分かっていたとしても、「背に腹は代えられない」という諺もあるように、より基本的な維持のために重要なものを犠牲にしてしまうこともあります。
しかし、海洋摂理は世界平和のために絶対的に必要で、統一運動の希望なのです。北米で海洋教会を始められた当時、お父様は私たちに次のように言われました。
「将来、統一教会の唯一の希望となるのがオーシャン・チャーチです」
(み旨と海 第六章 1983年 7月 3日 グロースター)
私たちは、海洋摂理の価値を訴えていかなくてはいけません。絶対に必要であり、犠牲にしてはいけない摂理であることを証明し、全食口たちを説得しなければならないでしょう。そうしなければ、あれだけ投入された真の御父母様がお可哀そうだと思います。
ブループリントから「真っ直ぐな道」を探す
9月26日の朝、ラスベガスからパラグアイの帰途につき、27日の早朝、パラグアイに着きました。
今回の旅は本当に多くのことを学ばせて頂きました。多くの方々に出会い、話しましたが、「長期的には何をすればいいか、分からない」というのが、多くの食口たちの正直な本音ではないでしょうか。海洋摂理の視点では組織分裂など、本当に複雑な状況下にあります。
このような状況で一番重要なことは、「真の御父母様の全体摂理のブループリントに戻る」ことではないでしょうか。北米で真の御父母様がなされた海洋摂理、海洋教会摂理、第二次40年路程、ジャルジンのニューホープ農場の摂理、レダを含む「パンタナール摂理」、「南北米統一摂理」、「環太平洋摂理」など、世界平和に具体的に貢献する長期的摂理というブループリントがあります。指導者教育に関しても、神学校、カープ、海洋教会というブループリントがあります。
真のお父様は、海に基盤を造ることが、私たちの方向性を真っ直ぐにすることだと言われました。
「これが人々と国家を一つにする、最も早い方法です。先生はこれをいかになすことができるかといつも考えていました。だから先生は海に基盤を造っているのです。我々がこの基盤を造れば、将来に対する我々の方向性は真っ直ぐなものとなるでしょう」
(み旨と海 第十一章 1985年 8月 バークレイ)
私たちの「真っ直ぐな道」が、必ず長期的摂理の御言葉から探し出せると思います。
教会活動と海洋摂理が循環連携するエコシステム
真の御父母様は、海洋摂理に多くの人材と資金を投入し、北米でも南米でも釣りを通して食口たちを訓練されました。しかし、現在、海洋摂理は教会内ではほぼ語られることはありません。多くの失敗や組織分裂などがあったとしても、真の父母様の伝統やプロジェクトが語られなくなるというのはおかしなことです。海洋摂理のことを語らない教会文化の中では、海洋摂理は存続できず、自然消滅するしかないでしょう。しかし、海洋摂理を成さなければ、教会の目的である世界平和と統一には絶対に到達できないのです。どちらの目的も達成することができなくなります。
ロスアンジェルスで見た素晴らしい実例は、教会と水産事業が連動しあう共存体制があったことです。多くの食口たちは水産事業から生活の糧を得て、家族と教会を支援し、事業レベルでも、教会活動に献金して支援しています。これはもちろん、真のお父様が北米で以前から目指して来られたことであり、組織分裂以前はある程度確立されていたことです。
この共存体制は、全てのレベルの目標を完遂できるシステムです。個人・家庭・教会のコミュニティにはそれぞれ目的があります。個人の目標は、人格完成と社会に貢献できる能力を持つ人となることであり、家庭では、子供たちの内外の育成と経済的生活基盤の拡充であり、教会のコミュニティーとしては、食口たちを教育し祝福家庭を増やし、また具体的に世界平和に向かって歩むことです。教会と水産事業が連動することにより、これらの全てのレベルの目標を完遂できます。水産事業は教会を経済的に支援し、教会活動により食口たちを内的に教育し、事業で働くことにより、人的にも、経済的にも継続性を持つことができます。そして、水産事業の目的は、お金を生み出すためだけではなく、具体的に飢餓問題解決に向かって「世界平和のインフラ」を築いていくことなので、教会全体の目標である世界平和に具体的に近づける体制だと言えます。
教会と海洋摂理関連の事業体は対立するのではなく、両方が共存し共栄する環境文化を造るためには、3つの成すべきことがあると思います。
長期摂理について常に語る文化を教会内につくる
まずは教会内で海洋摂理のことを話すようにならなくてはいけないと思います。特に、将来のことを悩んでいる若者たちは、世界平和のために真の父母様が準備された具体的な方法について聞くべきです。長期摂理は世代を通して受け継がれるべきです。語らなければ、若い人たちにその歴史や計画は伝わらず、現存している基盤を受け継ぐ人はいなくなり、海洋摂理は自然消滅していきます。
事業が教会活動を経済的に支援する
次には、現存する海洋摂理関連事業が教会活動を経済的に支えることです。真のお父様は水産事業が統一運動の主な経済基盤になることを望んでおられました。現存する海洋摂理関連事業は、特に家庭生活の基盤を築かなければならない若者たちを雇ったり、様々な海洋摂理事業を起業する手助けをするべきです。
ただ、ここで注意しなければならないのは、伝道や献金などの短期目標のために長期目標を犠牲にしてはならない、ということです。伝道と献金に集中するあまり、海洋摂理などの長期計画を実行して来なかったパターンを繰り返してはなりません。
青少年教育と指導者育成コースの中に海洋訓練を必須項目として加える
第三には、教会の青少年教育と指導者育成コースに海洋訓練の内容も入れることです。真のお父様はすべての食口たち、特に若者たちのためにボートを製造され、海洋訓練をされました。また、指導者は必ず神学校、カープ、海洋教会を経ることが育成のブループリントでした。中田実先生が言われたように、中高生の時より、具体的に世界に貢献する方法について学び、海洋訓練により心身を鍛えながら、人生の方針を決めるべきです。
このような連携をすれば、教会活動も海洋摂理関連事業も共栄でき、各自の目標と全体的目標を果たせるのではないかと思います。
ここで、くどいようですが、一つ強く注意しないといけないことがあります。このように教会活動と海洋摂理関連事業が連携する際、しっかり確認しないといけないことは、「海洋摂理関連事業は、献金と伝道のためだけにあるのではない」ということです。「内的活動が重要で、外的活動は重要ではない」という無責任な文化は捨て去るべきです。海洋摂理事業は、「世界のために具体的に生きるための方法手段や道具であり、人的基盤を造る方法」です。もし「献金のためだけの事業が必要である」と言う簡単な論理が横行すれば、教会員はビットコインなど、簡単にお金ができる方法をとればよいという結論となり、海洋摂理をする必要がなくなってしまうのです。以前の失敗を繰り返さないためにも、海洋摂理の継続のためにも、海洋摂理が訓練や献金や伝道だけのためにあるのではないことを、はっきりさせるべきです。
実際のところ、私がパラグアイで運営する事業は、まだ多くの利益を出せる状況ではないのですが、まずはパラグアイ・カープを経済的に支えることを決意しようと思います。そこから、教会活動と海洋摂理関連事業が循環連携し共栄するエコシステムをパラグアイに創ることを目指します。それができれば、パラグアイの海洋摂理も必ず繁栄するでしょう。
海洋宣教師のための訓練所の必要性
世界平和実現は、北米などの先進国の事業だけではできません。先進国から貧しい国に行くことを望む人は少ないですが、飢餓や貧困を無くすためには、私たち食口が真の父母様に繋がる毛細血管のように、世界に根付いていかなくてはなりません。麗水の海洋指導者訓練には、7千名以上の日本人女性が参加したと言いますが、世界の隅々まで網羅し、飢餓を解決するためには数千名でも足りないと思われます。
コディアックに、真のお父様が教えられた開拓精神を持つ祝福子女たちを育成する環境を造らなくてはなりません。お父様はアラスカ43家庭に、「あなたたちは誰よりも苦労しなくてはいけない」と言われて世界に送られたそうです。私自身はそのような教育を受けていないのですが、そのような教育をできる人が、そのような道場のような場所が、この教会になければならないと思います。
サン・アルベルトの伝道村を訪問した時、中田実先生がイエスズ会の教育のことを話してくださいました。イエスズ会の宣教師は、10年間の修行を行った後に選抜され、殉教覚悟で世界各地に送られたそうです。その姿は、南米のジャングルの奥地のグアラニー族の伝道で有名な「ザ・ミッション」という映画にまでなりました。その10年間の修行は、殆どの時間が、医療、建設、農業など、人の為に生きる方法を会得する為に使われたと言います。お父様は、「統一教会員は皆、釣り、狩り、農業ができなければいけない」と言われましたが、「貧しい国に行き、そこで食べられない人々を助け、教えることができなければいけない」と言われたのです。
このような場所が、ジャルジンのニューホープ(新しい希望)農場であるはずだったのだと思います。ジャルジンは縦的教育のためだけの場所ではなく、農場であるので、もちろん横的教育である農業、漁業、加工業なども行うようにお父様はご指示されたのです。
「ジャルジンでは何をするのでしょうか。祝福を受けた家庭が、縦的には上がってきましたが、横的基準に立つことができていないので、今からは横的基準で神様と共に生きていける家庭を、築かなければなりません。そのために、世界平和のための理想家庭教育センターを造り、今まで祝福を受けた家庭を新たに教育するのです。神様の絶対的栄光の家庭に同参できる内容を、再び訓練しなければならないのです。それがジャルジンの家庭訓練です」
(真の父母経10篇3章 ジャルジン第一宣言 294-319, 1998/08/09)
また、このような訓練所の規模について、真のお父様は数百人規模の場所を求められました。ニュージャージー市の海洋教会でも、コディアックでも、お父様は最低500名を訓練できる場所を造るよう指示されたようです。
以上のことから、具体的な世界平和の造成には、必ず開拓者を数多く輩出するための訓練所が必要であり、纏めると以下のような内容になります。
堕落社会の中心である都心から隔離された場所
グロスター、コディアック、ジャルジンなど、真の御父母様が訓練所として選ばれた場所は都心から離れた場所でした。これは、都市を中心とした堕落文化文明から離れて人間は訓練されなければいけないということです。
継続性をもつ多角的な事業体が訓練所の経済を支える
何事も、事業基盤がなければ、継続性が生じません。単一の事業ではなく、多角的事業を行い、各事業が支えあって成長していかなくてはならないと思います。
コディアックのオーシャンチャレンジやニュージャージーの海洋教会が今でも継続できているのは、二世にビジョンが受け継がれたからですが、それ以前に、二世の訓練を支える一世たちの経済基盤がスポンサーとなってくれているからなのです。
次世代を教育する訓練所は、多角的な事業に支えられなければなりません。そして、訓練を終えた人たちの多くは、その事業に定着していき、同時に人的基盤の拡大と持続性をも保証していきます。
事業を実践し開拓することが精神的訓練、身体的訓練となる
コディアック精神(開拓精神・絶対責任完結の精神)を体恤するために、コディアックのような離島やレダなどの僻地で事業を起こす訓練を行うべきです。「訓練のための訓練」では継続しません。
グロスターではマグロ釣りによる訓練が、漁業と魚流通事業の始まりとなり、ボートを造ったことが、北米のボート製造事業の始まりとなりました。コディアックでは、加工業の訓練が、加工事業とフィッシュパウダー研究の始まりとなりました。つまり、事業を起こすことと、技術訓練と開拓精神の訓練が一体となっていました。
次世代を教育する訓練所は、農業、漁業、養殖、医療、建築など、貧しい国を開拓できる技術を研究し教える場所であるべきです。精神的・身体的訓練の分野に、栄養学や武道などを取り入れるべきです。このような技術訓練は40日間で出来るものではなく、何年間をも費やして、確実に世界に開拓に出て、社会貢献できる人材を育成できる場所でなくてはならないと思います。アラスカ43家庭は、世界に派遣される前に7年間もの訓練をコディアックで受けたのでした。
明確なビジョン・理想の教育
この訓練所では、世界平和のためになぜ水産事業や農業などをやるのか、強烈なほど明確なビジョンを訓練生に植え付けなくてはいけません。意義が明確ではない苦労の道は歩み続けることは難しいものです。
次世代を教育する訓練所は、世界平和に対する明確なビジョンと理想を、若者たちに示さなければなりません。
海洋宣教師たちの計画的人選とミッション
アラスカ43家庭は真のお父様に選定され、コディアックで訓練され、水産事業を世界化するためのミッション(使命)を受けました。レダには全ての日本人国家メシア(当初は102名)が動員され、理想の村をパンタナールに建設するように命じられました。私は詳しくありませんが、麗水で訓練された日本人女性たちも、明確な目的のある使命が与えられたのだと思います。
目標と使命は、ある人や世代が失敗したために部分的にしか成されなかったとしても、摂理の中で完成されるまで必ず続行されるのが原理の摂理観です。しかし、私が知る限り、アラスカ43家庭の使命を継ぐ家庭は現れていません。レダでも、国家メシアたちの使命を受け継ぐ人たちは現れていません。
コディアックやジャルジンでは、真の父母様は明確な目標を持って食口たちを訓練され、使命を与えられました。それと同じように、新しい訓練所では、計画的に人材を世界に派遣し、海洋摂理基盤を拡大する指揮を取らなければならないと思います。
海洋宣教師たちを支援するシステム
最終的には、世界各地に大規模な食糧生産、流通、技術教育、思想文化教育のネットワークを造成し、紛争や自然災害などで飢餓に苦しむ世界の地域へ、流動的に継続的に食糧や他の物資を届けることができるようにしなければいけません。
そのような世界的基盤を築いていくためにも、投資や人事を戦略的に行っていく必要があり、単に海洋宣教師たちを送り出すだけではなく、システム的な支援体制をつくる必要があると思います。例えば、いかに訓練された人材であっても、「海洋宣教師」として一家庭で貧しい国に行き開拓する事は、失敗する可能性を高い確率ではらんでいます。しかし、比較的に稼ぎやすい先進国家に、海洋宣教師を支援する三位基台の家庭たちが居れば、継続性のある経済的な支援などが行えるかもしれません。
海洋摂理の世界化は、このような持続性をもったシステムを考案し、計画的に造成する必要があります。
教育者の育成
私が考える訓練所の概要は上記の通りですが、最重要の課題は、訓練所の教育者の育成です。真の父母様は、過去に幾度もグロスター、コディアックや麗水などで訓練所を運営されましたが、そこでは真のお父様が自ら教育した方々を訓練所の教育者として立てられました。
現在、このような教育者が教会内にいるのか、というのは疑問ですが、この一点が押さえられなくては、どんなに良い施設があり資金があったとしても、真の御父母様の理想を叶える訓練所はできません。つまり、教育者を探し育成することが急務であると思います。
これからは、このような訓練所を復活させていかなくてはいけないと思います。また、一ヵ所だけではなく北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、韓国、日本など、複数の場所で行うべきだと思います。日本では多く過疎化が進み、農業や漁業が廃れつつあります。そのような地方や島々に訓練所を造り、その地域で老齢化する方々に尽くしながら、日本の農業と産業の高い技術水準を受け継いでいくこと、これを実践訓練とする考えはどうでしょうか。
南北米統一のためのステップ
本来ならば、北米で築いた海洋摂理関連事業を南米に拡大することで、南米を平準化し、南北米統一を促進することができたはずでした。パンタナールのレダや南極オキアミ漁などのプロジェクトを中心として、世界の食糧問題解決の方法を確立することができていたなら、南北米は、統一されたキリスト教文化圏として、世界のために生きることができていたはずでした。
しかし、多くの失敗と分裂により、北米の基盤は大きな打撃を受けました。分裂により、すべての組織が共有すべき目的も明確でなくなりました。南米に多々あったプロジェクトも、多くが停止したり、十分な支援を受けることができない状態に陥りました。
現在の切実な希望は、すべての食口たちが統一することですが、これだけ溝の深まった分裂を今すぐに直すことも難しいことです。統一を願いながらも期待をせずに、私たちができることをするべきだと思います。周囲に誰ひとりやろうとする人が見えなかったとしても、私たちがやっていかなくてはいけません。お父様は次のように言われました。
「学費がなくて勉強できなかったり、人々が飢え死にするのを防止することが、終末時代に人類が解決すべき最も重大な問題です。その問題を解決しようという人がいないので、父母様は、別動部隊をつくってでも、飢え死にする人々を助けてあげようとするのです」
(真の父母経十三篇 600-105, 2008/10/27)
南北米統一のために今からできる重要な焦点は、教育、事業、連携の三点にまとめられると思います。まず、緊急に海洋摂理を行う青少年たちを育成しなくては、北米でも南米でも海洋摂理は自然消滅します。同時に、北米で縮小してしまった事業を徐々につくり直し、南米に拡大していかなくてはなりません。
教育と事業の二点の基盤造りを押さえながら、すべてのレベルで連携体制を築かなくてはいけません。北米と南米が連携を取り、日本と北南米が連携をとり、一世たちは次世代と連携を取り、教会は事業と連携を取り、カープと海洋教会は連携を取っていかなくてはいけません。様々な部品が重なり合いながらボートが機能するように、様々な組織が世界平和の実現のために連携するべきです。連携することにより、各自の役割や共通目標がより明らかになるはずです。
これから海洋摂理を行う決意をする若者たちのために、過去の失敗や分裂の衝動を乗り越える忍耐力と、「勝つまで継続する」アラスカ精神を相続していける環境を整えていかなければなりません。
(了)
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